宮城 :: 入ノ沢遺跡の地図とデータ

入ノ沢遺跡

データ

名前 入ノ沢遺跡
よみがな いりのさわいせき
遺跡
都道府県 宮城
駐車スペース なし
交通 - 徒歩

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交通 - 車

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周辺情報
タグ 遺跡
キーワード

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注意事項

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紹介文

4世紀,古墳時代前期の環濠集落。標高49mの丘陵上にあり,周囲を塀と大溝で囲んでいる。竪穴住居から銅鏡,鉄製品,装身具,土師器,砥石,炭化米などの遺物が出土した。銅鏡は3面(内行花文鏡,珠文鏡,重圏文鏡)出土しており,内行花文鏡は全体の半分が出土し,破損した面が磨かれていることから,この状態で使用されていたと考えられる。土器は機内の古墳時代の土器である布留式土器の系統を引く土師器で,小型丸底壷や小型器台,高坏が出てくるが,続縄文の土器や黒曜石はない。勾玉は翡翠製,琥珀製,水晶製,滑石製があり,琥珀製の勾玉は「丁字頭勾玉」であることから畿内で製作された可能性が高い。ガラス小玉はすべて日本列島の外部から製品として搬入されたものである。東日本の中では一段階早くから機内との直接的な関係が伺われる比較的稀な事例であるといえる。

posted by morudauharerya

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コメント (2)

ゲスト - 2016/06/19 22:21:29

地図を見てみると川を渡っている道があるのがわかると思います。橋の左上に「伊治城」があります。この川を渡る橋は欄干のない潜り橋ですが「阿久戸橋」といいます。このあたりの地区を「阿久戸」というのですが、実は古事記には安寧天皇の皇后の名前を「阿久斗姫」(あくとひめ)と書いてあるのです。「川俣毗売の兄県主波延の女の阿久斗姫」とあります。「阿久戸」はかかとを表す方言にもなっていますが、よくわかりません。何か関係があるのかもしれません。

ゲスト - 2016/05/08 00:16:38

遺跡のある集落は城生野というのですが,隣の集落が宮野といいます。その集落に「奥福寺」というお寺があるのですが,栗原群誌の中にこんなことが書いてあります。「一之宮神社 字上宮野秋山なる奥福寺の境内に塚形をなせるところあり。古来安寧天皇の御陵と言い伝え傍らに一祠あり一之宮権現と称し安寧天皇の皇子迫子の宮をまつれるものという。・・・・口碑にいわく往古人皇3代安寧天皇の11年当国に降臨しことごとく邑里を開き幽宮を営み,宮糸の城と称しここに宮 居住すること多年 ゆえに郷号を迫と称す。後世邑を宮野と号す。」それで迫子の一字を取ってこの地を「迫」といったというのです。この辺りにある「一迫」「二迫」「三迫」という川の名前や町の名前はこれに由来するというのです。安寧天皇在位年をAD300~310という説を私は支持します。天皇の第一皇子が東北に天下った例として出羽三山の蜂子皇子の例もあります。入ノ沢遺跡の発掘がなければただのとんでも話と片付けられそうな話ですが4世紀に入ノ沢のような遺跡があると知ると本当の話ではと思ったりします。ただ日本書紀や古事記の安寧天皇の第一皇子は迫子の宮とはなっていないのですが・・・。入ノ沢遺跡が「宮糸の城」ではと想像したりします。