茨城 :: 葦間山古墳の地図とデータ

葦間山古墳

データ
名前 葦間山古墳
よみがな あしまやまこふん
前方後円墳
都道府県 茨城 ( マップ | 一覧 )
所在地 茨城県筑西市徳持
駐車スペース 不明
交通 - 徒歩

JR水戸線「下館駅」から徒歩またはタクシー

交通 - 車

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周辺情報
タグ 前方後円墳市指定史跡埴輪
注意事項

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紹介文

全長(推定)141mの前方後円墳。

小貝川左岸の徳持の低地にあり、徳持古墳とも呼ばれ、後円部径82m、高さ10.5m、前方部は一部失われていると思われるが現在長約30m、高さは約3mで前方部に比べかなり低い。

本格的な発掘調査は行われていないが、赤彩された壺型埴輪が発見されている。

築造時期は4世紀末~5世紀初と推定。市指定史跡、1976(昭和51)年。

posted by yuki1949
updated 2024年02月25日
投稿写真 (16)
小貝川の土手上から後円部突端付近墳丘西側面の全景:後円部(森)の右に前方同地点から筑波山遠望後円丘の西側の参道に鳥居が立つ
墳丘西側面、クビレ付近の道形墳丘上:前方部から後円部東側(県道側)から後円部(左側に前方部)県道側の登路(そこそこの勾配)
・後円部上の祠古墳付近から見た筑波山遠景(中央の林、子貝川の橋から)全景、前方部は一部分(東から)
コメント (2)
susumu - 2024/02/25 22:41:21

 小貝川の土手の上から古墳を眺めた第一印象は、 随分と低地に在るんだな。だった
 近代になって治水された小貝川は、古来から流路がなかなか定まらない河川だったらしく、昔の川筋はもっと離れていたのかもしれないと思う反面、低地であるのは築造以来の事実だろう。
 葦間山という名から、葦原に頭を出した小山を連想する、葦といえば湿地の植物、そんな時代もあったのかもしれないとも思う。さらに、前方部は過去千数百年の間に、出水で削られてしまったのか?。等々と妄想してしまう。
 いずれにせよ、低地は、地盤の安定という点ではリスキーな土地。地域最大の古墳の主は、地域の首長。最大有力者というのも間違いない事だろう。
人々は、何故この場所を選んだのだろうか。徳持という縁起の良い地名もちょっと気になる。
 県道側の標柱の横の踏み跡で、見上げる後円部頂に上った。
はなかなかの勾配で登りながら大きさを実感した。

yuki1949 - 2013/04/14 20:56:01

下館駅から徒歩の見学です。小貝川に掛かる橋まで来ると、道路から少し入った右側に林が見えてきます。これが葦間山古墳です。後円部は大きく、高さもあり非常に立派で、墳頂には社があり、竹と樹木が林立しています。それに比べ、前方部はかなり変形しているようで、高さがなく、畑になっているせいか平坦になっています。

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