三柱山古墳
データ
名前 | 三柱山古墳 |
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よみがな | みはしらやまこふん |
形 | 円墳![]() |
都道府県 | 大分 ( マップ | 一覧 ) |
所在地 | 宇佐市安心院町下毛 33.445309, 131.34789 |
駐車スペース | あり(無料) |
交通 - 徒歩 | -- |
交通 - 車 | -- |
周辺情報 | |
タグ | -- |
キーワード | 石棺群, 遥拝所, 卑弥呼, 邪馬台国宇佐説 |
注意事項 | 現在、レジャー施設「家族旅行村 安心院」敷地内、キャビン・スライダーなど設置 |
紹介文 |
古墳時代初頭に築造されたと見られる直径約150m、高さ約20mの巨大円墳。国内最大級。造成工事で数基の石棺が見つかった模様(第8石棺群、「安心院宮ノ原遺跡 宮ノ原・三柱山所在遺跡の調査報告書」安心院町教育委員会、昭和59年3月31日 p.94)。魏志倭人伝の卑弥呼の径百余歩の墓の有力な候補となる。三女神社は日本書紀の葦原中国の宇佐嶋に天降りした、水沼氏が奉斎する宗像三女神の伝承地。水取りの伝承のある水沼井が神社の南約500mの安心院盆地内に存在。神社西側にV字溝(幅約2.5m、深さ1m)があり、その中から銅鏃1個出土。三女神は宇佐神宮の比売大神とされ、卑弥呼説がある。円墳の西側原野は血野と呼ばれ、奴婢百余人の殉葬地とみられる(ただし、伝承では戦国時代の安心院氏遭難地)。南側400mの河原に三女神社の頓宮(墓の遥拝所)があり、三基の石塔が墓に向いて置かれている。西側に摂社、金毘羅宮・八束神社あり。共にスサノヲの子孫が祭神。遥拝所北側に土盛りされて直接目視できない。そこにヒカケ横穴群があり、岩戸隠れした天照大神が連想され、日食のために卑弥呼が殺されたことを示唆。卑弥呼八幡比売大神説の根拠について「【刮目天の古代史】古代史を推理する」 |
posted by katumoku10
updated 2023年02月23日
updated 2023年02月23日
今のところ、三柱山古墳が日本最大の円墳です。
二位は鳥栖市柚比町愛宕山古墳(直径約140m、高さ約16mの円墳)で卑弥呼の弟赤坂比古のものと考えています。
三位が図に示した奥城古墳(直径約120m高さ、高さ約13mの円墳)で卑弥呼の父のものと推定しています。詳細は「卑弥呼の巨大円墳が日本最大だよ!」
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/7ea3f1f258bf4939e41a504b99dde475
を参照してください。
第四位が最近豪華な副葬品が発見されて話題になっている富雄丸山古墳(直径約109mの円墳、造り出し付き)で、応神天皇の皇太子ウジノワキノイラツコが被葬者と推定しました。宇治天皇として即位していたことを日本書紀が隠していると推理しています。詳細は「富雄丸山古墳の被葬者は?」
https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/21a44f716e6fa5e5766190f7846c4a52
を参照してください。
卑弥呼は宗像女神・宇佐神宮比売大神として宗像大社・宇佐神宮・厳島神社などで祀られているムナカタ海人族先代赤坂比古の姫巫女(ひめご)でした。二世紀末の倭国大乱期に海に近い不弥国(うみこく、宗像市田熊遺跡群を中心とする)から野麻国(やまこく、和名抄の野麻郷は宇佐市安心院町に比定される)に疎開していた。姫(院)が安心した故事による地名。読みはアズミ族が開発した土地。調査報告書によれば弥生後期中葉から大地に人が住み始めた模様。詳細は「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎」https://blog.goo.ne.jp/katumoku10/e/021ea4333fad09527e2c1914bb53a5ad
を参照してください。