紹介文 |
この古墳は那珂川町三輪字七所原にあり、那珂川により形成された中位の河岸段丘上面である小川面の東側に位置しています。周辺には7基の古墳からなる七所原古墳群があったことがわかっていますが、残念ながら本墳を除き消滅してしまいました。
昭和10年代、平成4年の発掘調査により横穴式石室から豊富な副葬品が出土したことから史跡保護の機運が高まり、地権者の快諾を得て、保存整備を実施しました。
首長原古墳は以前より、前後2つの塚の存在から全長約40mの前方後円墳ではないかと考えられていましたが、周囲の削平により確認することができませんでした。しかし、墳丘斜面には川原石による葺石がみられ、石室をもつ墳丘は直径17mの円形墳であることがわかりました。周堀は墳丘裾をめぐる二重の周堀が確認され、県内でも極めてまれなものです。
石室は全長5m、幅1.7m、高さ1.7mあり、その構造から無袖式川原石小口積みの横穴式石室と呼ばれ、この裏側には川原石による裏込めがみられます。石室には天井石と呼ぶ大きな石の蓋がありますが、入口部の1枚を除き、全て崩れていました。奥壁の基底部には鏡石と呼ばれる大きな石が横に3枚置かれ、床面には礫を敷き詰め、入口付近には石室の内と外を区画する石列がみられます。
石室入口には閉塞石が天井部まで積み込まれ、厳重に閉じていたことがわかります。石室へと通じる墓道は削平により石室付近のみしか確認できませんでしたが、この墓道は段階状になることが推定されます。
出土遺物としては石室内から大刀、鉄鏃、刀子、耳環、銅釧、勾玉、管玉、切子玉、ガラス玉などの副葬品が多数出土し、これらは出土状況や閉塞石の状態から複数の埋葬者の副葬品と考えられます。また、墳頂からは祭祀に使用された土師器や須恵器の甕が発見されました。
首長原古墳はこれらの出土遺物や石室の形態から那須地域に見られる横穴式石室でも比較的古い様相をもつものと考えられ、時期的には6世紀後半(今から約1,450年前)の豪族の墓と推定されます。
整備の概要
石室:側壁、奥壁、裏込め部、床面、天井石は樹脂により補強し、崩落した天井石は擬石により復元しています。
墓道:削平部を復元し、樹脂により表面を補強しました。
墳丘:直径17mの円形墳丘を盛土により復元し、墳丘には本来葺石がみられますが、古墳保護のため表土上に張り芝を行っています。また、周辺の削平による旧地表面との差を解消するため墳丘よりゆるやかな傾斜により、景観を調整しています。
那珂川町教育委員会
(現地、説明板より)
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