茨城 :: 泥障塚古墳群の地図とデータ

泥障塚古墳群

データ
名前 泥障塚古墳群
よみがな あおりづかこふんぐん
古墳群
都道府県 茨城 ( マップ | 一覧 )
所在地 茨城県小美玉市納場泥障塚847
駐車スペース 不明
交通 - 徒歩

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交通 - 車

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紹介文

美野里町指定文化財 泥障塚古墳群と古代官道跡
 昭和51年3月25日指定
 大字納場字泥障塚847番地
 この古墳は巴川右岸中流の微高台地上にあり、山林内に前方後円墳2基、円墳4基が分布している。隣接地は昭和40年代、住宅地域として開発されたが北浦敷地内の円墳一基は緑地帯として保存され今にその姿を伝えている。前方後円墳は大きい方で全長約40m、高さ約3m、他の1基は全長約28m、高さ1.7mを測り、古墳時代の後期(6世紀)頃この地方を支配した豪族の墳墓と推定される。
 この古墳についての出土品については明らかでないが、言い伝えによれば源義家が奥州征伐のおり五万騎を従え、この塚に馬の泥障(あおり 鞍飾)を埋葬したことからといい、別名あおり塚と称されている。
 古墳群が築かれた6世紀と義家が奥州征伐をした時代では、かなりの隔たりはあるが、北浦団地と古墳群の所在する山林を遮断するかのように古代の官道跡(約224m、北の巴川に向かって浅い堀状の傾斜をなし、木炭片の入った路面の一部が露出)が残されている。義家伝説は県内でも古代官道遺跡周辺に多く残されており、その数は百近くを数えている。
 平成11年3月 美野里町教育委員会
(現地、説明板より)

posted by papa0524
updated 2022年02月20日
投稿写真 (2)
三号墳(住宅地にあります)古墳群の内、森の中にある古墳
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