toramasaさんのプロフィール
4月の群馬巡りで前の道を通った際に木の伐採中でした。 気になった為、ゴールデンウイークに訪問してみましたが、墳丘の周りに囲いが出来ていました。 墳丘の周りに住宅が建つのかもしれません。 もしかすると住宅に囲まれて墳丘に足を踏み入れる事が出来なくなる可能性があります。
2月に初回訪問しました。 現状は玄室のみ残っているようです。
グーグルマップを見てわかるように、古墳への道が木々で全く見えません。 グーグルマップの案内通りに行くと民家に入ってしまい行き方がわからず、地元の方に行き方を訪ねて3人目で行き方がわかる方に出会い、最後の一本道まで案内して頂きました。
山本稲荷神社古墳はグーグルマップでは墳丘上に建てられている本郷稲荷山神社で登録されています。 地名は山本、古墳名は山本で神社名は本郷とややこしい名前となっています。 石室が開口していますが、天井石が崩れているのか開口部が三角状の穴となっています。 開口部から見えるのは玄室のみとなっており、開口部は奥壁から見て真っ直ぐ反対側の位置ではなく、右側にずれているようです。
石室の入口にたくさんの石が置かれており、石室内部を見ることは出来ませんでした。 墳丘は八幡宮の敷地内にありますが八幡宮からは行く道はありません。 八幡宮の西側の道から地図には出ていない細い道が墳丘の前に通じているので、その細い道から行くのが良いです。
鳥居をくぐってから墳丘を登って行くと石室正面に行くことが出来ます。 石室の入口に鶏の埴輪のレプリカが置かれていました。 車はすぐ近くの京の泉公園に駐車して見学しました。
石室の前にフェンスがあり鍵が閉まっていますが、よくフェンスを見るとフェンスの右側はフレームだけなのでフェンスの中に入る事が出来るスペースがありましたので、そのスペースから中に入り見学させてもらいました。 墳頂に上がる途中には石で組まれた小さな石室のようなものがあり、墳頂には大きな石材がありました。
胴塚古墳に行く際に偶然通りかかり、古墳に見える為、墳丘の隣の畑で農作用しているご家族に質問したところ、これは家の古墳で石室もあると教えて頂きました。 石室が物置なので写真は恥ずかしいなと言いながら見学を許可して頂きました。 70代の方でご当主のかただと思いますが、ここで生まれ育って子供の頃から墳丘は変わっていないとの事です。 古墳の名前を聞いたところ名前は無いとの事で、私が富岡市何号とかですかね?というとそうだと思うとの事でした。 今までに何回か市が調査に来ているとの事です。 現状は石室の中の物は増えていますが、整理はされていました。
社務所に行き、石室の中に入らせていただけるか尋ねたところ、藤岡市から石室の人をいれないよう指導を受けているとの事で石室には入れませんでした。 自撮り棒での撮影はOK頂き石室を撮影しました。
墳丘上の木が伐採されていました。 なぜ、今頃伐採したのか不思議です。 付近を撮影したストリートビューを確認すると最も直近は2023年7月ですが、まだ墳丘上に木はあります。
今回、写真の撮り直しの為に行きましたが前回の2023年1月の時には墳丘上に木がありましたが、今回はありませんでした。 グーグルのストリートビューをみると2023年4月には今と同じ状態になっています。 木は伐採ではなく、根を引き抜いています。
2月に訪問しましたが、その後調べているうちに、所有者の方が見学者の為に開放しているとのブログの記事を見つけました。 確かに当時、入口の扉はレバータイプで施錠されていませんでした。 再訪問したところ、ゴールデンウイークで見学者が来る事を予測してか、扉が開いている状態で草を刈ったばかりのようでした。 石室は地上から3mくらいの位置にあり、天井石が無い状態でした。 石室のすぐ上が墳頂になっているので、墳長を崩しながら発掘したのでしょうか。 石室は右側の壁石も一部取り除かれている状態です。 墳頂には発掘記念碑があり、8人の方の名前と明治27年2月9日から12日までしたとあります。
県道沿いに標識がありますが墳丘跡は県道の1本裏の道沿いにあります。 グーグルマップが示している位置は墳丘跡より一段下がった窪地です。 石室があるのは裏の道路側で黄色の星で示した辺りです。
神社の社殿は後円部を削って立てられているようです。 神社は道路より1.5m程度高い位置に立てられており、後円部の西側は良く残っています。 前方部はほとんどなくなっているように見えます。 石室は後円部が削られた場所に位置しており、排水溝のように見えるので事前に知っていないと見逃してしまうと思います。
石室の開口部は埋没していて天井石の下の部分が開口しているのみの状態で奥行きは20cmくらいしかありませんでした。 開口部の下の土は固い土で埋まっています。
コメント (69)
4月の群馬巡りで前の道を通った際に木の伐採中でした。
気になった為、ゴールデンウイークに訪問してみましたが、墳丘の周りに囲いが出来ていました。
墳丘の周りに住宅が建つのかもしれません。
もしかすると住宅に囲まれて墳丘に足を踏み入れる事が出来なくなる可能性があります。
2月に初回訪問しました。
現状は玄室のみ残っているようです。
グーグルマップを見てわかるように、古墳への道が木々で全く見えません。
グーグルマップの案内通りに行くと民家に入ってしまい行き方がわからず、地元の方に行き方を訪ねて3人目で行き方がわかる方に出会い、最後の一本道まで案内して頂きました。
山本稲荷神社古墳はグーグルマップでは墳丘上に建てられている本郷稲荷山神社で登録されています。
地名は山本、古墳名は山本で神社名は本郷とややこしい名前となっています。
石室が開口していますが、天井石が崩れているのか開口部が三角状の穴となっています。
開口部から見えるのは玄室のみとなっており、開口部は奥壁から見て真っ直ぐ反対側の位置ではなく、右側にずれているようです。
石室の入口にたくさんの石が置かれており、石室内部を見ることは出来ませんでした。
墳丘は八幡宮の敷地内にありますが八幡宮からは行く道はありません。
八幡宮の西側の道から地図には出ていない細い道が墳丘の前に通じているので、その細い道から行くのが良いです。
鳥居をくぐってから墳丘を登って行くと石室正面に行くことが出来ます。
石室の入口に鶏の埴輪のレプリカが置かれていました。
車はすぐ近くの京の泉公園に駐車して見学しました。
石室の前にフェンスがあり鍵が閉まっていますが、よくフェンスを見るとフェンスの右側はフレームだけなのでフェンスの中に入る事が出来るスペースがありましたので、そのスペースから中に入り見学させてもらいました。
墳頂に上がる途中には石で組まれた小さな石室のようなものがあり、墳頂には大きな石材がありました。
胴塚古墳に行く際に偶然通りかかり、古墳に見える為、墳丘の隣の畑で農作用しているご家族に質問したところ、これは家の古墳で石室もあると教えて頂きました。
石室が物置なので写真は恥ずかしいなと言いながら見学を許可して頂きました。
70代の方でご当主のかただと思いますが、ここで生まれ育って子供の頃から墳丘は変わっていないとの事です。
古墳の名前を聞いたところ名前は無いとの事で、私が富岡市何号とかですかね?というとそうだと思うとの事でした。
今までに何回か市が調査に来ているとの事です。
現状は石室の中の物は増えていますが、整理はされていました。
社務所に行き、石室の中に入らせていただけるか尋ねたところ、藤岡市から石室の人をいれないよう指導を受けているとの事で石室には入れませんでした。
自撮り棒での撮影はOK頂き石室を撮影しました。
墳丘上の木が伐採されていました。
なぜ、今頃伐採したのか不思議です。
付近を撮影したストリートビューを確認すると最も直近は2023年7月ですが、まだ墳丘上に木はあります。
今回、写真の撮り直しの為に行きましたが前回の2023年1月の時には墳丘上に木がありましたが、今回はありませんでした。
グーグルのストリートビューをみると2023年4月には今と同じ状態になっています。
木は伐採ではなく、根を引き抜いています。
2月に訪問しましたが、その後調べているうちに、所有者の方が見学者の為に開放しているとのブログの記事を見つけました。
確かに当時、入口の扉はレバータイプで施錠されていませんでした。
再訪問したところ、ゴールデンウイークで見学者が来る事を予測してか、扉が開いている状態で草を刈ったばかりのようでした。
石室は地上から3mくらいの位置にあり、天井石が無い状態でした。
石室のすぐ上が墳頂になっているので、墳長を崩しながら発掘したのでしょうか。
石室は右側の壁石も一部取り除かれている状態です。
墳頂には発掘記念碑があり、8人の方の名前と明治27年2月9日から12日までしたとあります。
県道沿いに標識がありますが墳丘跡は県道の1本裏の道沿いにあります。
グーグルマップが示している位置は墳丘跡より一段下がった窪地です。
石室があるのは裏の道路側で黄色の星で示した辺りです。
神社の社殿は後円部を削って立てられているようです。
神社は道路より1.5m程度高い位置に立てられており、後円部の西側は良く残っています。
前方部はほとんどなくなっているように見えます。
石室は後円部が削られた場所に位置しており、排水溝のように見えるので事前に知っていないと見逃してしまうと思います。
石室の開口部は埋没していて天井石の下の部分が開口しているのみの状態で奥行きは20cmくらいしかありませんでした。
開口部の下の土は固い土で埋まっています。