toramasaさんのプロフィール
2020年8月に訪問しました。 墳丘の南側は神社のために削られており、神社社殿は墳頂より1段下がった場所に建てられています。 墳頂に石室の石材と思われる石がありますが、説明板によると横穴石室の奥壁と思われる緑泥片岩との事です。 神社社殿の石段の右手に積まれている角閃石安山岩も石室の石材と言われているとの事ですが、当時気が付かず撮影していませんでした。
墳頂の勢大神宮の小祠の手前に石室の開口部があります。 天井石が抜かれて開口しています。
他の古墳関係のサイトで2010年には石室がわずかに開口していたとの情報を基に2月に訪問してみました。 インターネットで検索すると2016年2月19日の高崎新聞の記事があり、1990年の調査時の石室の写真がありますが、現在は1990年の写真に写っている一番上の石から30cmくらいの所まで埋め戻されており、奥行きは50cm程度になっています。 開口部にはビニールシートがかかっていますが、破れている場所があり携帯を差し込み写真を撮影しました。
説明板によると北山古墳群の三古墳の中では最も大きな古墳となります。 前方部を南西向きに築造されており、石室が東方向に開口しています。 石室には鍵が施錠された柵がある為、自作自撮棒を使用して石室内を撮影しました。 震災前に撮影された石室内部の写真には閾石が写っていますが、震災で石室内部が崩れたようで現在は閾石は土砂で埋まっています。 玄室内は石が崩落して土砂が流れ込んでいるようです。 後円部の石室の玄室の上に該当する場所にはロープが張られて立ち入り禁止措置がなされています。
北山霊園の南側にあり、前方部を南西方向に向けて築造されています。 古墳がある台地への登り口にはトイレがあり、駐車の区画は書かれていませんが駐車するスペースがあります。 ここに駐車をして雷電山古墳、権現山古墳へも行きました。
岩下清水古墳群の説明板の後ろに南西方向に石室が開口している古墳があります。 群馬県古墳総覧の地図では久呂保村57号墳に該当します。 古墳総覧では円墳 径11.2m(37尺)、高さ(7尺)2.1mとなっています。 斜面を利用して作られているので南西側は高さは4mはあるかと思います。
現状は3段の方墳になっており、たくさんの庚申塔があります。 調べてみましたが、「ふるさと歴史ウォーク 曽木~田篠コース 富岡市教育委員会」によると一本松の百庚申と呼ばれており古墳の丘に93基の庚申塔が建てられているとの事です。
以前は石室に入室出来ましたが、入室出来なくなったとの情報があったので、自撮棒で石室を撮影しようと思い行ってみましたが、石室への階段も立ち入り禁止となっていました。
こちらの古墳は瓦塚古墳群の主墳で瓦塚24号となり、前方部が南西を向いています。 現状は後円部、くびれ、前方部の高さが同じで横から見ると台形のような形状になっていました。
4月の群馬巡りで前の道を通った際に木の伐採中でした。 気になった為、ゴールデンウイークに訪問してみましたが、墳丘の周りに囲いが出来ていました。 墳丘の周りに住宅が建つのかもしれません。 もしかすると住宅に囲まれて墳丘に足を踏み入れる事が出来なくなる可能性があります。
2月に初回訪問しました。 現状は玄室のみ残っているようです。
グーグルマップを見てわかるように、古墳への道が木々で全く見えません。 グーグルマップの案内通りに行くと民家に入ってしまい行き方がわからず、地元の方に行き方を訪ねて3人目で行き方がわかる方に出会い、最後の一本道まで案内して頂きました。
山本稲荷神社古墳はグーグルマップでは墳丘上に建てられている本郷稲荷山神社で登録されています。 地名は山本、古墳名は山本で神社名は本郷とややこしい名前となっています。 石室が開口していますが、天井石が崩れているのか開口部が三角状の穴となっています。 開口部から見えるのは玄室のみとなっており、開口部は奥壁から見て真っ直ぐ反対側の位置ではなく、右側にずれているようです。
石室の入口にたくさんの石が置かれており、石室内部を見ることは出来ませんでした。 墳丘は八幡宮の敷地内にありますが八幡宮からは行く道はありません。 八幡宮の西側の道から地図には出ていない細い道が墳丘の前に通じているので、その細い道から行くのが良いです。
鳥居をくぐってから墳丘を登って行くと石室正面に行くことが出来ます。 石室の入口に鶏の埴輪のレプリカが置かれていました。 車はすぐ近くの京の泉公園に駐車して見学しました。
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2020年8月に訪問しました。
墳丘の南側は神社のために削られており、神社社殿は墳頂より1段下がった場所に建てられています。
墳頂に石室の石材と思われる石がありますが、説明板によると横穴石室の奥壁と思われる緑泥片岩との事です。
神社社殿の石段の右手に積まれている角閃石安山岩も石室の石材と言われているとの事ですが、当時気が付かず撮影していませんでした。
墳頂の勢大神宮の小祠の手前に石室の開口部があります。
天井石が抜かれて開口しています。
他の古墳関係のサイトで2010年には石室がわずかに開口していたとの情報を基に2月に訪問してみました。
インターネットで検索すると2016年2月19日の高崎新聞の記事があり、1990年の調査時の石室の写真がありますが、現在は1990年の写真に写っている一番上の石から30cmくらいの所まで埋め戻されており、奥行きは50cm程度になっています。
開口部にはビニールシートがかかっていますが、破れている場所があり携帯を差し込み写真を撮影しました。
説明板によると北山古墳群の三古墳の中では最も大きな古墳となります。
前方部を南西向きに築造されており、石室が東方向に開口しています。
石室には鍵が施錠された柵がある為、自作自撮棒を使用して石室内を撮影しました。
震災前に撮影された石室内部の写真には閾石が写っていますが、震災で石室内部が崩れたようで現在は閾石は土砂で埋まっています。
玄室内は石が崩落して土砂が流れ込んでいるようです。
後円部の石室の玄室の上に該当する場所にはロープが張られて立ち入り禁止措置がなされています。
北山霊園の南側にあり、前方部を南西方向に向けて築造されています。
古墳がある台地への登り口にはトイレがあり、駐車の区画は書かれていませんが駐車するスペースがあります。
ここに駐車をして雷電山古墳、権現山古墳へも行きました。
岩下清水古墳群の説明板の後ろに南西方向に石室が開口している古墳があります。
群馬県古墳総覧の地図では久呂保村57号墳に該当します。
古墳総覧では円墳 径11.2m(37尺)、高さ(7尺)2.1mとなっています。
斜面を利用して作られているので南西側は高さは4mはあるかと思います。
現状は3段の方墳になっており、たくさんの庚申塔があります。
調べてみましたが、「ふるさと歴史ウォーク 曽木~田篠コース 富岡市教育委員会」によると一本松の百庚申と呼ばれており古墳の丘に93基の庚申塔が建てられているとの事です。
以前は石室に入室出来ましたが、入室出来なくなったとの情報があったので、自撮棒で石室を撮影しようと思い行ってみましたが、石室への階段も立ち入り禁止となっていました。
こちらの古墳は瓦塚古墳群の主墳で瓦塚24号となり、前方部が南西を向いています。
現状は後円部、くびれ、前方部の高さが同じで横から見ると台形のような形状になっていました。
4月の群馬巡りで前の道を通った際に木の伐採中でした。
気になった為、ゴールデンウイークに訪問してみましたが、墳丘の周りに囲いが出来ていました。
墳丘の周りに住宅が建つのかもしれません。
もしかすると住宅に囲まれて墳丘に足を踏み入れる事が出来なくなる可能性があります。
2月に初回訪問しました。
現状は玄室のみ残っているようです。
グーグルマップを見てわかるように、古墳への道が木々で全く見えません。
グーグルマップの案内通りに行くと民家に入ってしまい行き方がわからず、地元の方に行き方を訪ねて3人目で行き方がわかる方に出会い、最後の一本道まで案内して頂きました。
山本稲荷神社古墳はグーグルマップでは墳丘上に建てられている本郷稲荷山神社で登録されています。
地名は山本、古墳名は山本で神社名は本郷とややこしい名前となっています。
石室が開口していますが、天井石が崩れているのか開口部が三角状の穴となっています。
開口部から見えるのは玄室のみとなっており、開口部は奥壁から見て真っ直ぐ反対側の位置ではなく、右側にずれているようです。
石室の入口にたくさんの石が置かれており、石室内部を見ることは出来ませんでした。
墳丘は八幡宮の敷地内にありますが八幡宮からは行く道はありません。
八幡宮の西側の道から地図には出ていない細い道が墳丘の前に通じているので、その細い道から行くのが良いです。
鳥居をくぐってから墳丘を登って行くと石室正面に行くことが出来ます。
石室の入口に鶏の埴輪のレプリカが置かれていました。
車はすぐ近くの京の泉公園に駐車して見学しました。