大師森洞窟古墳
名前 | 大師森洞窟古墳 |
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よみがな | たいしもりどうくつこふん |
形 | 不明 |
都道府県 | 山形 ( マップ | 一覧 ) |
所在地 | 山形県東置賜郡高畠町 |
駐車スペース | なし |
交通 - 徒歩 | -- |
交通 - 車 | -- |
周辺情報 | |
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キーワード | -- |
注意事項 | -- |
紹介文 |
時沢部落の北西に当たり、南面する大師森山の中腹、凝灰岩よりなる洞窟が存在する。伝説によると安然大師入定の霊地として有名である。安然は幼時にして比叡山に登り、慈覚大師に師事し、後比叡山に五大院を建て、専ら著述をこととした。時沢妙法院の所伝によれば、延喜一五年二月十九日、七〇歳を以て五指山(大師森)に入定との記録が残っている。本洞内には砂岩製の形態、組合せ箱式石棺二個が安置されている。側壁には朱の塗装が見られる。一個は完形にて、蓋石の長さは二一センチメートル、幅七五センチメートル、厚さ八センチメートルを測る。表面の周縁は稜をとって固めてある。底石は長さ、一九〇センチメートル、幅六四センチメートル、、厚さは最厚(中央)一五センチメートル、最薄(四周)一一センチメートルで、上面の四周を削り、中央を高くして四周に側壁および前後壁を立てるようにしてある。側壁は長さ一八六メートル、幅四四センチメートル、厚さ八センチメートルの板石二枚から成り左右同形である。前後壁の板石は長さは前壁は六五センチメートル、後壁は四二センチメートル、幅、前壁四三センチメートル、後壁は三二センチメートル、厚さは前後壁とも共に八センチメートルである。尚石棺の底石の頭部に枕状(長さ二九センチメートル、高さ七センチメートル)の浮彫がある。出土遺物として、妙法院の記録によると、「宝暦の頃に石棺が発見され、独鈷、白玉七粒」と記されている。現在その一個であると考えられる碧玉製の勾玉がある。他の古墳より出土の勾玉の形態を異にするものである。 |
updated 2022年10月29日
旧高畠町立時沢小学校(現在熱中小学校)の近くに、大師森石窟石棺の説明板がありました。建物の中にもしかして石棺があるのかな?と覗いてみたのですが、それらしいものは特に見えず。