mirukashiさんのプロフィール
屋形古墳群のガイダンス広場整備で原古墳の保存施設も新しくなっているようです。新しい案内板には奥壁が東西逆になっている経緯もありました。 …お墓ですからね、そういうこともあるかもね…
近くまで行ったので新しいガイダンス施設に寄ってきました。 展示は紙ベースで残念でしたが、今後に期待ですね! 改めて珍敷塚、原、鳥船塚、(古畑は寄らなかった)近いですね! 耳納連山北麓の彩色装飾古墳の密集度恐るべし 日ノ岡古墳から地位のある人物の墓は装飾すると言う ローカルルールが出来上がったのでしょうかね?
球磨川の左岸段丘上にあり結構大きめの円墳が耕地に点在しています。 カーナビには三ツ塚って出ていました。 3か所すべてに葺石らしき遺物もあります。
集落から離れているのと崖は北向きなのと相まって薄暗く寂しい所です。 ※多分イノシシであろう痕跡多数 浮彫などの装飾古墳は人吉地区が南限と言われているそうです。
11号墳左側の靫2基にはいくつか丸い穴が開いていますが、そこには金属装飾が鋲止めしてあったのではないかとの説があるそうです。 7号墳左の装飾は馬と考えられています。 全5頭、一番上の馬には鞍の装飾があり、下の二頭と上の三頭の間には仕切りがありますが、牧場の表現ではないかと言われているそうです。 下の二頭は親子、右が母馬、左が仔馬だという説有り。 (個人的には絶対そうだと思う)
kakapo氏が言っているのは例の穴とした枢(とぼそ/とまら?)石の事です。 羨道と前室の境にあり扉がついていたようです。 ※読めませんでした。
10/13筑後川流域装飾古墳同時公開で公開されていました。 日岡古墳も久しぶり見学してきました。 奥壁の同心円紋六連(膳※か!)は相変わらずのインパクトです。 ここの玄室は壁面が滑らかに揃えてあります。それも全面、全く隙がありません。 隙が無い壁面には全面彩色装飾があります、 が目視では現状赤以外は確認が難しいと思います。 同心円紋、蕨手紋、動物(魚含む)、人物、武具、船 彩色装飾古墳としては最古級です。 ポスター買っといて良かったよ。
秋のお彼岸の時期になると気になる古墳ですね。 居住地から遠いので中々ベストなタイミングで訪問できないでいます。 鏡柄型の前方後円墳はBとC、それぞれ後円部高さは6m程もありますが 前方部高さは1m位です。
田主丸大塚古墳の前方部は削平されていましたが、 公園化するにあたり前方部の版築部分の断面が見学できるようになっています。 そんな事より主体部をきっちり調べろよと言う気持ちがありますが…
外堤を含めた墓域は径89mに達する九州北部最大の円墳です。 出土した岩見方木製品と言い広域とつながりのある人物の墓と考えられます。 横穴式石室の括りになりますが、墳頂から斜めに下る墓道がある九州北部型横穴式石室と呼ばれる主体部持ちます(最大規模です)。この形式は朝鮮半島や大陸の影響を受けている様です。長野川を挟んだ西側の対照的位置には一貴山銚子塚古墳があります。 意識して作られたのでしょうか?興味深いです。
前方部は道路で大分破壊されていますが端部は道路の反対側で残っています。
端山古墳、北西側より。 果樹が植えられているのは周濠になります。 左のあぜは前方部の痕跡をなぞります。 この古墳は4世紀代の築造ですので その時には伊都国の中心はここには無かったことになります。
築山古墳と端山古墳は弥生時代の伊都国のほぼ中心部に築造されています。 どちらも前方部は破壊され円墳状態ですが、航空写真で痕跡は確認できます。
そういえば石室にはしめ縄がありました。 4月の慰霊祭の物でしょうか。
今回は伊都国周辺の古墳、墳墓を回ってきましたよ。
コメント (37)
屋形古墳群のガイダンス広場整備で原古墳の保存施設も新しくなっているようです。新しい案内板には奥壁が東西逆になっている経緯もありました。
…お墓ですからね、そういうこともあるかもね…
近くまで行ったので新しいガイダンス施設に寄ってきました。
展示は紙ベースで残念でしたが、今後に期待ですね!
改めて珍敷塚、原、鳥船塚、(古畑は寄らなかった)近いですね!
耳納連山北麓の彩色装飾古墳の密集度恐るべし
日ノ岡古墳から地位のある人物の墓は装飾すると言う
ローカルルールが出来上がったのでしょうかね?
球磨川の左岸段丘上にあり結構大きめの円墳が耕地に点在しています。
カーナビには三ツ塚って出ていました。
3か所すべてに葺石らしき遺物もあります。
集落から離れているのと崖は北向きなのと相まって薄暗く寂しい所です。
※多分イノシシであろう痕跡多数
浮彫などの装飾古墳は人吉地区が南限と言われているそうです。
11号墳左側の靫2基にはいくつか丸い穴が開いていますが、そこには金属装飾が鋲止めしてあったのではないかとの説があるそうです。
7号墳左の装飾は馬と考えられています。
全5頭、一番上の馬には鞍の装飾があり、下の二頭と上の三頭の間には仕切りがありますが、牧場の表現ではないかと言われているそうです。
下の二頭は親子、右が母馬、左が仔馬だという説有り。
(個人的には絶対そうだと思う)
kakapo氏が言っているのは例の穴とした枢(とぼそ/とまら?)石の事です。
羨道と前室の境にあり扉がついていたようです。
※読めませんでした。
10/13筑後川流域装飾古墳同時公開で公開されていました。
日岡古墳も久しぶり見学してきました。
奥壁の同心円紋六連(膳※か!)は相変わらずのインパクトです。
ここの玄室は壁面が滑らかに揃えてあります。それも全面、全く隙がありません。
隙が無い壁面には全面彩色装飾があります、
が目視では現状赤以外は確認が難しいと思います。
同心円紋、蕨手紋、動物(魚含む)、人物、武具、船
彩色装飾古墳としては最古級です。
ポスター買っといて良かったよ。
秋のお彼岸の時期になると気になる古墳ですね。
居住地から遠いので中々ベストなタイミングで訪問できないでいます。
鏡柄型の前方後円墳はBとC、それぞれ後円部高さは6m程もありますが
前方部高さは1m位です。
田主丸大塚古墳の前方部は削平されていましたが、
公園化するにあたり前方部の版築部分の断面が見学できるようになっています。
そんな事より主体部をきっちり調べろよと言う気持ちがありますが…
外堤を含めた墓域は径89mに達する九州北部最大の円墳です。
出土した岩見方木製品と言い広域とつながりのある人物の墓と考えられます。
横穴式石室の括りになりますが、墳頂から斜めに下る墓道がある九州北部型横穴式石室と呼ばれる主体部持ちます(最大規模です)。この形式は朝鮮半島や大陸の影響を受けている様です。長野川を挟んだ西側の対照的位置には一貴山銚子塚古墳があります。
意識して作られたのでしょうか?興味深いです。
前方部は道路で大分破壊されていますが端部は道路の反対側で残っています。
端山古墳、北西側より。
果樹が植えられているのは周濠になります。
左のあぜは前方部の痕跡をなぞります。
この古墳は4世紀代の築造ですので
その時には伊都国の中心はここには無かったことになります。
築山古墳と端山古墳は弥生時代の伊都国のほぼ中心部に築造されています。
どちらも前方部は破壊され円墳状態ですが、航空写真で痕跡は確認できます。
そういえば石室にはしめ縄がありました。
4月の慰霊祭の物でしょうか。
今回は伊都国周辺の古墳、墳墓を回ってきましたよ。