本塚古墳
データ
名前 | 本塚古墳 |
---|---|
よみがな | もとづかこふん |
形 | 帆立貝式古墳![]() |
都道府県 | 滋賀 ( マップ | 一覧 ) |
所在地 | 滋賀県大津市木の岡町30-17 |
駐車スペース | 不明 |
交通 - 徒歩 | -- |
交通 - 車 | -- |
周辺情報 | |
タグ | 帆立貝式古墳陵墓参考地段築 |
注意事項 | -- |
紹介文 |
墳丘長73m、高さ10mの帆立貝形古墳。 |
posted by sera
updated 2025年05月13日
updated 2025年05月13日
木の岡丘陵の閑静な住宅地の中を本塚1基。陪塚4基を巡りました。
本塚には宅地の間の階段から奥に歩道を行きます。階段脇の説明パネル(本塚の説明ではない)によると。木の岡古墳群は丘陵上の5基と丘陵南の平地の1基で構成されているとの、また「本塚古墳」は「丸塚古墳」とも呼ばれるようです。
歩道は施錠された門まで。当然ながら宮内庁の「入らぬ、取らぬ、切らぬ」の札書きが立つのみで、解説的な物も無く、古墳は、冷たく施錠された門の奥にただ沈黙するのみです。
坂を少し下ると茶臼山古墳。全長84mの前方後円墳で、本塚(丸山古墳)の陪塚(参考地飛び地は号)とされ、例に違わず柵に囲われてますが、現地パネルによると、一部で発掘調査は行われたようで、出土遺物からは5世紀辺りの築造との事。
木の岡古墳群は、木の岡町の丘陵上と、その下の平地にある車塚古墳群を併せて、宮内庁によって「下坂本陵墓参考地」と定められ、本塚(丸山)古墳は、7世紀代。天智天皇の皇后さまの墓所の可能性があるという事だけど。陪塚指定の茶臼山は5世紀で、陪塚が本塚よりも先に築造される筈もなく、矛盾してます。
「下坂本」は一帯の昔の地名?由緒は知る由もないながらも。
皮肉なことに「下坂本」とは裏腹に、主たる古墳は木の岡丘陵の上、本塚は更に坂の上の最高地。
丘の住宅地、遠く琵琶湖を見ながら。幾度かワンちゃんの「知らない人が歩いてるワン!」の声。
沈黙の古墳からは野鳥達のさえずりが始終聞こえてました。