susumuさんのプロフィール
後円丘に上ると、そこはまるでクレーターの縁の様で、円丘中心部は深くえぐれて、巨大な窪地になっていました。しかもJR線路側は縁さえも無く、大規模に破壊されていて、予備知識無しの訪問だったのでとてもびっくりしました。 西の道路から大きな墳丘を見た後、放置された土取りの跡はとても残念に思いました。
登り口のフェンス扉のネジ式のカラビナを開けて、明確な歩道を尾根の突端に登ると、円丘部(多分)。そこから、伊吹山を背に西は右手に姉川古戦場、遠く琵琶湖、竹生島が見えていました。方丘の末端付近は木々に覆われて墳丘の形は今一つはっきりし判りませんでした。
東の公園から前方丘に上ると、前方丘の先端からクビレ部にかけては一段削平された様になっていて、樹木のせいで見通しはあまり効きませんでした。 方丘の撥状カーブはなんとなく判る程度で。後円丘はクビレ部付近の薮に遮られて見えません。その薮(W.Cと書かれた小屋も在る)の脇を通り抜け1段上ると後円丘で、前方丘とはうって代わって視界が開け。段築も明瞭にわかりました。 広く平らな円丘の中心は、空に剥き出しになった大きな盗掘穴が痛々しく、その陥没穴に伐採された樹木屑が投棄されていて、その黒褐色の木屑の雑然とした散らかり様が、盗掘時の土塊の散乱のようにも見えて来て、見入ってしまいました。 尚、クビレ付近に薮があって、墳丘全体を感じられるポイントが無いのが残念に感じられました。
国道から一歩入ると「日本遺産」の桃色のノボリ旗とこんもりした盛り上がりが見えて直ぐに分かりました。、 石棺は石室入口方向に向けて空いた大穴から中を見ると、内側にはキッチリ細工された石肌が残っているようでした、 それに比べて表面は大分剥ぎ取られ傷んでいるようでしたが、とても大きく立派で存在感のある石棺でした。
操山里山センター前の路肩に駐車し、センター前のイラストマップを撮影しそれを頼りに向かいましたが、沢田大池の対岸に渡るやいなや、実際の道筋とマップが違うという事態でUターン。 散歩中の方に話を聞けたので。引き返せる確信が持てる範囲で山に入りました。 現地は、古墳に関した説明パネル等は殆ど無いに等しく、鉄器の入った埴質合子出土した竪穴口と窪みが在る他は、素人眼には木々の茂った地山も高まりのようでした。さきにYUKI1949さんが投稿された遊歩道沿いに立つ案内板が唯一、それも、現在地の表記が無いので、墳丘の広がりが何処なのかも判然としませんでした。 倉敷考古館には出土品をはじめ金蔵山古墳についての詳しい展示がされていました。セイウチさんありがとうございした。
宅地に囲まれながらも、優雅なカーブの墳丘が車道からも良く分かり、 草を掻き分け墳丘に上るとなかなか堂々とした雰囲気でした。 程なく、別の家族が上って来ると、その対比で、墳丘の大きさを更に実感する事が出来ました。
円丘に登ると、先ず大きく窪んだままの盗掘穴と、その前に仮設的な説明パネルがありました。 破壊されて残片になっていたとは言え、写真から見る縄掛け突起や小口石(短側石)の形から、何か特別な長持ち形石棺のようで。 それらは2017年に取り出され、史跡公園から徒歩10分程の「加西市埋蔵文化財整理室」で展示公開されているとの事でしたが、今回はタイミングが合わず行けませんでした。
吉備中山を越える車道を南東側からゆくと、と尾上南(岡電バス)の停留所を過ぎ、上り坂が右に緩くカーブし左上手に「神道山へようこそ」の看板。次にガードレール。そのガードレールが切れている所が入口で、古墳への矢印とプレートがあります。 歩道は、よく踏まれていて、途中2ヶ所の分岐は全て左。手前に畑のある高圧線鉄塔の袂までいけば、茂みの向こう側、開けたところに古墳が見えました。ゆっくり歩いても7~8分位の距離です。 駐車は、古墳入り口を30mほど通り過ぎた、対向車線側に、充分、車を入れられる路側帯がありました。
岡山県古代吉備文化財センターに駐車スペースがありますが。今回は中を見学する予定はなかったので、門の外のスペースに駐車しました。 そこから徒歩で吉備津神社方面に車道を下り、程なくしっかりした段差で170段の石段を上ります。「御陵」の看板、左手奥に見慣れた意匠。宮内庁の拝所があります。 穴観音はそこから冊沿いに右に行き。左に冊を見ながら緩やかに登っていくとほんの数分で着きました。一抱え大の石が冊内にゴロゴロッと在り。扉が閉まっていますが、鍵は無く中に入る事が出来ます。一歩墳丘に近づける訳です。辺りは鬱蒼とした森、墳丘は木漏れ日の中に、後円丘、前方丘、括れのカーブがよく解りました。 穴観音の解説を読み、先ほどの拝所よりも一層荘厳な感じを受けるのは自分だけでは無い・・のかな・・と思いました。 尚、吉備中山を越える車道は文化財センターと吉備津神社間は幅が狭く、普通車のすれ違い場所に注意が要るかと。 東側の黒住教本部、尾上南バス停(岡電バス)までの間は、道も良く道幅も問題ありませんが、短い区間ながらヘアピンカーブもあり神道山へバスが行き来することもあるので、対向車には注意が必要かと思いました。
古墳前で作業中の方に挨拶し、古墳に近付きたい旨を伝えたところ、快諾して頂きました。
付近の道幅は狭く、軽自動車でもすれ違える場所は限られます。また桃畑の作業道ですので、方々の迷惑にならないよう、地元優先で通らせて頂きましょう。他 要所に案内のプレートが立てられているので、迷う事なく着けました。 案内板にも在るように、谷を隔てた東側、やや視線を上に向けた台地上に岡 銚子塚と盃塚が遠望出来ました。
旧暦の初午(ハツウマ)の祭典、お祭の日。 古墳の前には露店も出て、石室内には長提灯が幾対も掲げられていまし。その灯りに浮かぶ玄室の観音堂の前には、木魚等が置かれ、祈祷の場所。その為か、石室内の撮影はしませんでした。 石室は高さもあり、巨石の石積みは見事で、奥から入口方向を振り返ると、崩落し、斜めにもたれ掛かる天井石が、よく判りました。
平野公民館の石棺の蓋石片は、墓地の石材(墓石ではない)に転用されていたものをこちらに移したとの事。現地の方からうかがいました。
かつて、前方部には、地区の鎮守があったそうで、その石垣、基壇が残っています。
丹後古代の里資料館に車を止め、竹野神社を経て、宮公民館前に前方部への階段があります。途中の道標も明確です。後円部頂から日本海を望むと、「立岩」の景観は特徴的で直ぐに目につきました。
コメント (25)
後円丘に上ると、そこはまるでクレーターの縁の様で、円丘中心部は深くえぐれて、巨大な窪地になっていました。しかもJR線路側は縁さえも無く、大規模に破壊されていて、予備知識無しの訪問だったのでとてもびっくりしました。
西の道路から大きな墳丘を見た後、放置された土取りの跡はとても残念に思いました。
登り口のフェンス扉のネジ式のカラビナを開けて、明確な歩道を尾根の突端に登ると、円丘部(多分)。そこから、伊吹山を背に西は右手に姉川古戦場、遠く琵琶湖、竹生島が見えていました。方丘の末端付近は木々に覆われて墳丘の形は今一つはっきりし判りませんでした。
東の公園から前方丘に上ると、前方丘の先端からクビレ部にかけては一段削平された様になっていて、樹木のせいで見通しはあまり効きませんでした。
方丘の撥状カーブはなんとなく判る程度で。後円丘はクビレ部付近の薮に遮られて見えません。その薮(W.Cと書かれた小屋も在る)の脇を通り抜け1段上ると後円丘で、前方丘とはうって代わって視界が開け。段築も明瞭にわかりました。
広く平らな円丘の中心は、空に剥き出しになった大きな盗掘穴が痛々しく、その陥没穴に伐採された樹木屑が投棄されていて、その黒褐色の木屑の雑然とした散らかり様が、盗掘時の土塊の散乱のようにも見えて来て、見入ってしまいました。
尚、クビレ付近に薮があって、墳丘全体を感じられるポイントが無いのが残念に感じられました。
国道から一歩入ると「日本遺産」の桃色のノボリ旗とこんもりした盛り上がりが見えて直ぐに分かりました。、
石棺は石室入口方向に向けて空いた大穴から中を見ると、内側にはキッチリ細工された石肌が残っているようでした、
それに比べて表面は大分剥ぎ取られ傷んでいるようでしたが、とても大きく立派で存在感のある石棺でした。
操山里山センター前の路肩に駐車し、センター前のイラストマップを撮影しそれを頼りに向かいましたが、沢田大池の対岸に渡るやいなや、実際の道筋とマップが違うという事態でUターン。
散歩中の方に話を聞けたので。引き返せる確信が持てる範囲で山に入りました。
現地は、古墳に関した説明パネル等は殆ど無いに等しく、鉄器の入った埴質合子出土した竪穴口と窪みが在る他は、素人眼には木々の茂った地山も高まりのようでした。さきにYUKI1949さんが投稿された遊歩道沿いに立つ案内板が唯一、それも、現在地の表記が無いので、墳丘の広がりが何処なのかも判然としませんでした。
倉敷考古館には出土品をはじめ金蔵山古墳についての詳しい展示がされていました。セイウチさんありがとうございした。
宅地に囲まれながらも、優雅なカーブの墳丘が車道からも良く分かり、
草を掻き分け墳丘に上るとなかなか堂々とした雰囲気でした。
程なく、別の家族が上って来ると、その対比で、墳丘の大きさを更に実感する事が出来ました。
円丘に登ると、先ず大きく窪んだままの盗掘穴と、その前に仮設的な説明パネルがありました。
破壊されて残片になっていたとは言え、写真から見る縄掛け突起や小口石(短側石)の形から、何か特別な長持ち形石棺のようで。
それらは2017年に取り出され、史跡公園から徒歩10分程の「加西市埋蔵文化財整理室」で展示公開されているとの事でしたが、今回はタイミングが合わず行けませんでした。
吉備中山を越える車道を南東側からゆくと、と尾上南(岡電バス)の停留所を過ぎ、上り坂が右に緩くカーブし左上手に「神道山へようこそ」の看板。次にガードレール。そのガードレールが切れている所が入口で、古墳への矢印とプレートがあります。
歩道は、よく踏まれていて、途中2ヶ所の分岐は全て左。手前に畑のある高圧線鉄塔の袂までいけば、茂みの向こう側、開けたところに古墳が見えました。ゆっくり歩いても7~8分位の距離です。
駐車は、古墳入り口を30mほど通り過ぎた、対向車線側に、充分、車を入れられる路側帯がありました。
岡山県古代吉備文化財センターに駐車スペースがありますが。今回は中を見学する予定はなかったので、門の外のスペースに駐車しました。
そこから徒歩で吉備津神社方面に車道を下り、程なくしっかりした段差で170段の石段を上ります。「御陵」の看板、左手奥に見慣れた意匠。宮内庁の拝所があります。
穴観音はそこから冊沿いに右に行き。左に冊を見ながら緩やかに登っていくとほんの数分で着きました。一抱え大の石が冊内にゴロゴロッと在り。扉が閉まっていますが、鍵は無く中に入る事が出来ます。一歩墳丘に近づける訳です。辺りは鬱蒼とした森、墳丘は木漏れ日の中に、後円丘、前方丘、括れのカーブがよく解りました。
穴観音の解説を読み、先ほどの拝所よりも一層荘厳な感じを受けるのは自分だけでは無い・・のかな・・と思いました。
尚、吉備中山を越える車道は文化財センターと吉備津神社間は幅が狭く、普通車のすれ違い場所に注意が要るかと。
東側の黒住教本部、尾上南バス停(岡電バス)までの間は、道も良く道幅も問題ありませんが、短い区間ながらヘアピンカーブもあり神道山へバスが行き来することもあるので、対向車には注意が必要かと思いました。
古墳前で作業中の方に挨拶し、古墳に近付きたい旨を伝えたところ、快諾して頂きました。
付近の道幅は狭く、軽自動車でもすれ違える場所は限られます。また桃畑の作業道ですので、方々の迷惑にならないよう、地元優先で通らせて頂きましょう。他
要所に案内のプレートが立てられているので、迷う事なく着けました。
案内板にも在るように、谷を隔てた東側、やや視線を上に向けた台地上に岡 銚子塚と盃塚が遠望出来ました。
旧暦の初午(ハツウマ)の祭典、お祭の日。
古墳の前には露店も出て、石室内には長提灯が幾対も掲げられていまし。その灯りに浮かぶ玄室の観音堂の前には、木魚等が置かれ、祈祷の場所。その為か、石室内の撮影はしませんでした。
石室は高さもあり、巨石の石積みは見事で、奥から入口方向を振り返ると、崩落し、斜めにもたれ掛かる天井石が、よく判りました。
平野公民館の石棺の蓋石片は、墓地の石材(墓石ではない)に転用されていたものをこちらに移したとの事。現地の方からうかがいました。
かつて、前方部には、地区の鎮守があったそうで、その石垣、基壇が残っています。
丹後古代の里資料館に車を止め、竹野神社を経て、宮公民館前に前方部への階段があります。途中の道標も明確です。後円部頂から日本海を望むと、「立岩」の景観は特徴的で直ぐに目につきました。