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古墳 (11)
<滋賀> 古保利古墳群 |
<大阪> 松岳山古墳 |
<大阪> 黒姫山古墳 |
<静岡> 聖人塚 |
<静岡> 向山16号墳 |
<茨城> 林古墳群(結城市) |
<茨城> 古山八幡塚古墳 |
<千葉> 率土神社南古墳 |
<埼玉> 鹿島古墳群 |
<京都> 芭蕉塚古墳 |
写真 (1,305)
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<滋賀> 古保利古墳群 |
<大阪> 松岳山古墳 |
<大阪> 黒姫山古墳 |
<静岡> 聖人塚 |
<静岡> 向山16号墳 |
<茨城> 林古墳群(結城市) |
<茨城> 古山八幡塚古墳 |
<千葉> 率土神社南古墳 |
<埼玉> 鹿島古墳群 |
<京都> 芭蕉塚古墳 |
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コメント (80)
同じ模様積みの石室を持つ藤岡の伊勢塚古墳の見事さには及びませんが、
半壊している為、独特な模様積み石室の断面を見れて、興味深い。
ナビで原口Ⅱ号墳を入力して、案内されるものの、駐車余地は無い。
一帯は将来、史跡公園として整備される予定で、車の乗り入れもしないようにとの事。
山名伊勢塚古墳に沿う県道に、上野三碑めぐりバスの停留所(山名古墳群)があり、そこに広い駐車場があります。
覆い屋の外には、ナマコ状の川原石が散在していて、多分石室に使われていた石材だと思いました。
西野水道ほりぬき公園に駐車し、そこから歩道で高差50mを上ると鞍部(木戸峠)に出て丘陵の稜線を辿る歩道に合流。
この路は「近江湖の辺の道」というハイキングルートで、北は西の山古墳。南は 寺ケ浦古墳迄の間を歩きました。
ルートの片側は琵琶湖ながら、樹木が高く、樹間、梢ごしに、光る湖水を伺いながら、アップダウンする道を行きます。
群中で最大の前方後円墳、西の山古墳は、群中最高所に在り、
先程の鞍部から小松古墳(群中最大60mの前方後方墳)を経て、更に高差で100m程を登ります。
古墳はこのルート沿いに次々と現れて、主要な物には説明パネルが立ってます。
足場は良く、晴天だったのもありローカットのスニーカーでも問題なしでした。
西野水道は、丘陵をトンネルで貫通して琵琶湖に抜ける昔の水路で、
脇に立つ建物内(無人?)で長靴、ヘルメット、懐中電灯(無料)を借りて、向こう側の湖畔に行けるようで、
昔の港跡等も在る様で興味深いですが。時間都合で割愛して車で賤ヶ岳リフトへと向かいました。
なお、建屋内の古保利古墳群のパンフレットは一部も残ってなく、少し残念。、
賤ケ岳では先の古墳群で行きかったハイカーと再会しました。
山頂からのパノラマは絶景で、眼下の古墳群のある丘陵を境に
右に塩津湾から、竹生島を浮かべて、遥か大津までの広大な湖水、左には長浜の平地から伊吹山が見渡せました。
近江神宮に駐車、参拝したその足で、住宅地の中を南へ、徒歩で10分かからず登り口に到着。
古墳のある丘陵の東側直下、住宅が途切れた斜面に説明パネルが見えて、すぐにわかりました。
かなりの勾配を、階段でジグザグと上りきると、前方部の南東隅に到着。
空が開け、目の前に階段状の石組の墳丘が現れました
散歩しながら古墳群が観れる所かと、県営春日山公園を訪問。
現地園内マップで「古墳エリア」へ向かいましたが、明るい公園内に在るのは円墳1基のみ、古墳に関する説明パネルもそこの1つだけです。
という事でパネルの古墳の位置図でめぼしを付けて、林の中に入ると
しばらくは踏み跡を辿れますが、それもすぐ判らなくなり、
後は公園地の境界?数メートルおきのコンクリの柱を辿って、枯れ枝、落ち葉を踏んで上って行くと、ドームに到達。
上ってみると明らかに前方後円の形は12号墳でしょうか、、更に石材の散乱。は13号?
距離的にも別の古墳のようです。辺りに説明パネル等は一切ありません。
さて帰ろうとしましたが、、
石材をあちこち見てまわったりをしている間に方向に自信が持てない。
辺りは何処を見ても、樹木と薮で同じような景色に、往路の記憶もあやふやな物で・・
ちょっと迷いました(;'∀')(;'∀')。
国の史跡となっていても、古墳目当てに公園を訪れる人は少ないのでしょうか。。
あとから公園全体のマップを見ると敷地内ではあるようです。
前方後方、、前方後円、、この様式の違いは何でしょうかね。
小銚子塚との間に、余地が在ってストレスなく駐車。
車窓から既に大型墳丘の雰囲気が伝わってくる。
後円部から緩やかなカーブが落ち込んで前方部、
後円部頂から細い前方部が見える。周堀も見事。
大きく立派、優雅で美しい、良くぞ残った。
来た甲斐ありました。
整備の終わった後円部に上ると、江の島から相模湾の海原彼方に伊豆半島、眼下に田越川流域の逗子市街地を臨む。
少なくとも縄文時代、海がより内陸に入り込み、田越川を遡れば、現代より更に短い陸路で、東京湾側に通ずる最短ルートであったという。
おそらく古墳時代も、逗子の入江から、二つの墳丘が見えていたのは想像するのに難くない。
その先、再び横須賀から海路、第二、第一海堡を目指せば、対岸、富津の砂州は間近だ。
周辺の道路は狭いですが、古墳学習館に駐車場(有料)があって助かります。
学習館の玄関前の階段を上がると周堤上の歩道に出て、正面に古墳。
後円部の桐の大木2本の内、右側が2022年に倒れてしまったとの事。、
note.com/haniwa_emperor/n/nfa3f16e9577f
で、若木が新たに梢を伸ばしていました。
公園内は遊歩道が整備され、復原墳丘、葺き石、埴輪などの展示も充実して見応えがあります。
また、墳丘上から西の眺めはなかなかなもので、見渡す大阪平野の向こうに「あべのハルカス」が見えました。
「古墳・学習・館」というと、ちょっと古臭い?堅い?とは違って、明るく軽やか、
スタッフの方々も朗らかに古墳とは?八尾とは?の活動をされている様子で、
今迄の展示館、博物館とは雰囲気が違って好感がもてます。
そんな事もあってか、普段あまり古墳グッズは手に取らない私がTシャツを購入。
前方後円の中に八尾の名産。有・無形文化・産業。歴史がデザインされ、生地は吸汗・速乾、サラサラ触感。
昨今、ますます暑くなる気候にマッチして、気に入りました。
木綿だったら買わなかった?かもしれません。
東の山々が大阪平野へと裾を広げてゆく傾斜地に築造された心合寺山古墳。
当時は、広大な耕作地から、金剛山地の緑の屏風をバックに白い墳丘が輝いて見えたことでしょう。
一帯は随所に説明パネルや屋外展示があって見応え充分、訪問し甲斐のある史跡公園でしたが、
駐車場・トイレは設置されていません。
周辺はクルマを寄せるような余地も無い上にコインパーキングも少なく、車での立ち寄り困難地。
前回は車窓から眺めるだけで退散。今回はJRの線路を挟んだ一角のコインパーキングに空きが見つかってラッキーでした。
北側の後円部(墓地)側の入り口のパネルに駐車場とトイレの案内があり。
どちらも片道で1㎞前後の距離ですが。駐車スペースはまだしも、トイレが無いのは少し不便?と思う反面、
自転車であれば問題ないでしょう。
乙訓地域は古墳時代以前~長岡京と、歴史ある地域。
seraさんのように、レンタサイクルが周辺の古墳、史跡訪問に一番かもしれませんね。
国分神社周辺の道は、一方通行?とも思える程に狭く、すれ違いは場所を選んで、対向確認、譲り合って行きましたが。
道が狭くなる手前の大和川左岸沿いの親水公園に停めるのも一考かと思います、神社まで徒歩10分とかからず、駐車場は無料のようです。
神社の境内から、樹林内を後円部へ上る路は、いたる所に板石が散らばっていますが、随所に立つ杭にロープが張られ、整備されています。
柏谷公園の駐車場に隣接するからくり時計広場と道を挟んだ所にあり、東側に後円部に上る階段がある。
傍らには朽ちたパネルがあり、現状は殆ど判読できない状態だった。
パネルは1995年に地区の長老会によって設置された物で、2008年頃は、まだ読める状態であった。
内容は以下。
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聖人塚(天皇峯) (前方後円塚)
一、木戸山(城戸山)芹沢(かしや)所有山である。ふくべ型の 頭部山頂に向原の山の神を祀りあり。
一、貴人の墓として大正時代の古老(江戸末期の青年)の話では通常木戸山と言い改め口調のとき須藤(さかや)文書により聖人塚又は天皇峯と語っていた又ふくべ型のためふくべ塚とも伝った。
一、大正末期までは山裾を途(みち)が廻って いた。
一、役場の明治十八年地誌調記によれば百穴 の西方に聖人塚(天皇峯)
一、芹沢氏個人の山だが奈良京都以外では見られない貴重な塚山だから区民一同大切に守り次世代に贈る心がけが肝要である。
平成七年三月 吉日 柏谷長老会
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文中「木戸山(城戸山)」「向原」は地名、「芹沢」「須藤」は個人名のようで。
「ふくべ」は干瓢(かんぴょう)、瓢箪(ひょうたん)と同義、「(かしや)」「(さかや)」は菓子屋、酒屋の事か?
少なくとも江戸の末期には、瓢箪形の貴人が葬られた塚(前方後円墳)と云われていた事が判る。
https://www.kanaloco.jp/news/life/article-1071613.html
遂に保存整備事業完了です。
クビレ部の登り道や、墳丘上の前方部と後円部を繋ぐ歩道には枕木の階段が設置されて、遺るという葺石も見当たらず、剣菱型の前方丘前面の裾は直線状になっているようにもみえるので。新たに土を表面に入れて植栽されている?とも思えますが、不明です。
ツツジ満開のド派手な墳丘にはちょっとビックリですが、人それぞれ好みの問題ですね。駐車場(有料)もあって芝生と植栽も良く整備された公園でした。
ただし、1号墳周辺に犬連れで入れないのは残念でした。
後円丘はゴッソリ、前方部も三方からザックリ切り崩され、
クビレに至っては幅2mもあるかと言う具合に墳丘はボロボロですが、
人家の間を抜けて、目前に現れた墳丘は、短小になっているものの、立派で存在感充分な大前方後円墳でした。
東に目をやれば、太平洋に遥か水平線を見渡す台地上です。
これだけ傷んでいながらも、えもいわれぬ風格を感じました。
外観は樹木に覆われていますが、墳丘上は空けていて、大型の前方後円墳の姿が良くわかります。
前方部入口の坂や墳丘周辺には拳大の石が見られます、多分転落した葺石でしょう。
右側のクビレ部に木の根もあらわな崩落があって崖状になっていました。