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古墳 (2)

<京都> 芭蕉塚古墳
<京都> 網野銚子山古墳

写真 (952)

古墳への分岐古墳への畦道を行く外堤?凸部を振り返る前方丘上の様子
後円部から前方部方向墓地の右端、奥に馬頭観世音の石碑馬頭観世音の石碑馬観音石碑の右に上り口
後円丘の上り口後円丘上道路側からの1号墳北側からの1号墳

コメント (51)

坂稲荷山古墳 - 2023/09/30 22:24:16

やまびこ(カラオケ屋さん)の所で、舗装路から左に逸れる畦道に入る。
林に入り、暗く篠竹の密生する中も道は明瞭で
蜘蛛の巣を除けながら一寸した起伏(外堤?)を越える辺りで
前方丘の袖辺りに立つ鳥居が見えます。
祠は前方丘上にあり、後円丘の上は木立だけです。

王塚古墳 - 2023/09/30 21:48:24

墓地右奥に馬頭観世音の石碑が見え、墳丘への上がる踏み跡がありました。
上りきった後円丘はまだしも、周りは茂る草木に視界を阻まれ、細長い前方部は今回はお預けでしたが、視界はきかなくても、足で感じる墳丘は量感充分。大きく立派です。
現地に古墳の説明等は見当たりませんが。それもまた良し!
1600余年を経て、草木に覆われ、今も台地に遺る。
こういう渋~い古墳はやはり冬~春の方がより良いですネ。

道作古墳群 - 2023/09/27 23:41:38

道路に面して、普通車にはちょっと狭い駐車枠の駐車場(3台)があります。
1、4、5号墳周辺が公園になっていて東屋と歩道が整備されてます。トイレは無いようです。
古墳は柵で囲われて,どれが何号墳なのかの表記はありません。
6号墳が公園敷地外に見えます。草に覆われてますが木立は伐採してあり墳形がよく判ります
目測で2~30mの前方後円墳です。
2号墳がすぐ北側の木立の中に在るようですが、蜘蛛の巣と密藪で断念しました。

愛宕神社古墳(川越市) - 2023/09/27 22:28:12

地図で国道沿いの駐車スペースをめざしましたが、其処は神社とは別の月極駐車場で、仙波河岸(センバカシ)史跡公園に車を停めました。
入口の公園標識に向かい合って愛宕神社の看板も立っています。
駐車場は車5台ほどで、駐輪場、トイレがあります。
仙波河岸は、往時、川越と江戸・浅草を結んだ船運に活用された新河岸川の最上流に設置された船着き場との事で、公園内には当時の河岸場跡や、武蔵野台地の東南端の湧水地、仙波の滝が修復保存されています。

古墳は歩道で公園と連絡、道標に従って台地に上ります。
解説では墳丘は東西長より南北の長さが20mほど長い円墳、という事は楕円形なのでしょうか。大きく変形した円墳なのしょうか。
中心に社殿の鎮座する頂きから降りて、「延命地蔵尊」の標識に従い、墳丘を左に、北側に周り込むと。円丘の先にも小高い部分が続いていて、帆立貝形、前方後円だったのかも知れない等と思いました。

浦部古墳 - 2023/09/27 21:23:40

永治簡易郵便局の所を曲ると、ほどなく道が細くなりますが、直進してすぐ右手に「大六天」の標柱が立っています。
地図の四角い水色は真新しい駐車場になっていて、木立のマウンドの廻りは公園になっています。
駐車場は車10台と車いす1台で駐輪スペースも在ります。トイレは無いようです。

公園にはウッドチップが敷かれ、玉切りの椅子が随所に配置されて、桜も植えられているようです。北縁は崖状に一気に切れ込んで、其処からの眺望パノラマは絶景で。
眼下の手賀沼が干拓された広大な水田の遥か地平線に筑波山の双耳のシルエットが浮かびます。

マウンドは帆立貝式の前方後円墳のようで、正面の鳥居をくぐると、両側に結界のように立つシイの大木の奥に第六天が祀られています。
社は、括れ部のやや後円丘寄りに在り、後円丘頂上には、シイとはまた違う立派な大木が何本も生えてます。

夕日のパノラマを眺めながら東屋で一息。振り返ると、後円丘の真正面で。ふとスマホで地形図を見てみると。
古墳と筑波山(女体山本殿)の経度が東経140度6分でピタリと一致します。
主軸線は真北の筑波山に向いているのか?方位を意識して築造された?という事もあり得るのかもしれません。

古代には、太平洋の鹿島灘から海が入り込み。一帯は香取海という広大な内海で、手賀沼はその入江。地名の「浦部」ちょっと気になります。
被葬者は船乗りだったのかもしれません。方位は操舟の要です。
彼らは、天空に一点、動く事の無い星を認識していたのではないかと思います。
浦部の人々は先祖の眠るマウンドを前に、昼は筑波山、夜は北極星を仰ぎ見てきた、、などと妄想は続きます。

現地に古墳の解説は無く、あくまでも「大六天」ですが、古来、特別な場所だったのではないかと思います。
時期を変えて天気の良い日また来たい所です。

熊野神社古墳(桶川市) - 2023/09/25 00:41:35

神社の入口付近に車が数台寄せられるスペースがあり車での訪問です。
荒川に開口する広い谷戸(津)を南に見下ろす台地の突端に立地する埼玉県下最古級の古墳で、築造は行田の埼玉古墳群より古いとの事。
昭和の早い時期に発見された出土品が文化財指定を受けた事もあってか、墳丘周辺の遺存状態は良いように思う。
一方で墳頂には「出土品之石碑」、社殿の軒下には出土品の古い写真パネル(傷みが酷い)が奉納され、現地の説明パネルも出土品の事が大半を占めて、
墳丘自体の記述は少ない。
かつては現社殿の屋根辺り迄の高さが削平を受けているとの事ですが、充分に大きく立派な印象を受けます。

勝呂神社古墳 - 2023/09/24 22:33:52

 神社の赤い本(拝)殿は、沖積平野の田畑に面する台地上の古墳の頂きあり、遠くからも良く見えます。
鳥居をくぐって駐車場。そこから真直ぐ、明るい境内を前に、社の乗る墳丘を見上げる。
社の傍らの石材は、石室の一部というより。石材をランダムに積んだ。というような印象を受ける。

地図で周りの道形を見ると前方後円墳のようにも思える、その伝承も在るとか?
前方部が後世の土取りで無くなってしまうのはよくある事で。
トレンチ調査での考察はどうなんだろうか。

休日午前中の小一時間。神社には10名の参拝者。現代に生きている神社という感じを受けた。

掖上鑵子塚古墳 - 2023/08/26 21:37:19

JR和歌山線の掖上駅を右に見て行くと、道は緩やかな勾配とカーブで丘陵地へ入り
程なく、小高い丘を切通しで過ぎるとポッカリと開けた所で、農地となっている明確な周濠を隔て墳丘が現れました。
のどかな里山風情の中、大きく立派で品が良い、気品を感じます。

北側の道路から見ると、説明パネルが見え、畔を進みクビレ部付近の墳丘袂に到達。
少しの藪をくぐれば墳丘に入れる感じでしたが、私有地(判然とはしません)のように思いそれ以上は進みませんでした。
後円部の畑に面する裾には、獣除けとみられる電気柵がはられていました。

これ程の規模の墳丘には珍しく、四方を丘陵に囲まれ閉ざされた窮屈な印象。
立地は周りの里山の連なりに阻まれ、北西の奈良盆地はもちろん、眺望はききません。
特に前方部正面は道一本が通じるだけの狭小な凹地で、背後には御所の市街地を隔てる丘陵が迫ってます。
何か、閉ざされた空間。其処だけで完結している空間、不思議な古墳でした。

摩湯山古墳 - 2023/08/26 19:00:19

築造時期、西暦300年代といえば、まだ大阪平野が河内湖だった頃で、大仙古墳(仁徳陵)や、御廟山古墳(応神陵)よりも古い時代。
それら古市、百舌鳥古墳群が成立するより以前に、大和や河内とは隔たる地に築造された当時最大級の古墳。
地理的、時系列的にも同規模・準ずる墳丘も付近に無く、飛び地(孤立)のような立地は突如、唐突、忽然という感があって、
なぜ?どうして・誰?と想像が膨らみます。

地図や航空写真をみても、壕は盾形でもなく、前方後円の向きも判然としない。
大きな改変を受けているのでしょうか・・等々と。。

行ってみました
墳丘の南北両側には渡堤があるようですが、南の堤の南東詰めの先は密藪で前進困難。
北側道路沿いの摩湯バス停の所には、門柱の先に墳丘に向かうルートはあるように見えるものの、、
門柱は傾き、施錠されたフェンスには「立ち入らないように」との事で、入口だったのは昔の様相。

という事で、可能な限り古墳沿いを歩いて。過去に円筒埴輪片が出土したという淡島神社。
最後に摩湯の集落内にモザイクの一片の様に残るイナリ古墳(陪塚?)を巡ってきました。
神社の奥の社殿は階段を10段程上る高い所に在って、古墳感があります。
イナリ古墳は古い集落の中、盛り土の際まで民家に囲まれ、ひっそりと佇んでいました。
あと、淡島神社には岸和田だんじり祭り:摩湯町の山車の収納庫、だんじり小屋があります。

後日知った事:岸和田自然資料館の主催で、古墳内に入っての自然観察会が不定期に行われているようです。
古墳内の自然観察が主テーマとの事ですが、文化財としての説明、解説もあるようです。定員制、要事前申し込み。
機会あったら申し込んでみようと思います。

富田1号墳 - 2023/08/26 14:48:13

三ノ分目大塚山古墳の駐車スペースから徒歩10分程です。
駐車スペースは見当たりません。

愛宕山古墳(美浦村) - 2023/08/23 16:35:04

前方部の真正面にある公共施設の広いスペースの片隅に車を停めました。
正面参道の鳥居の手前と奥の敷き石に、明らかに他と違う大きな平らな石を見て、主体部の石材?と思う。
説明パネルの測量図から、墳丘は柄鏡型、初期の古い形態のように見える。
また、古木、大木がメラメラと枝を張って・・そんなムードもあってか、墳丘になにか一際荘厳な気配を感じる。
 墳丘輪郭を追える所は?と探しましたが、
この時期、どこも鬱蒼とした森の茂みに阻まれていて、墳丘上からでも霞ケ浦の眺望も得られぬ程でした。

油殿1号墳 - 2022/07/16 22:33:01

県道〈148〉からもドーム状の後円部が見えて来て、すぐに分かりました。
コイン精米スタンドの前に古墳群の解説パネルが立つ路地の入口あたりのスペースに車を停めました(墓地の参拝者用?)。
1号墳は、切り株の残る草地の踏み跡を辿って後円部に上ると見晴し良く、苗の緑と麦畑の黄色が印象的。
でも、直下に住宅が隣接しているので、長居は少し気が引けます。
2号墳の方は、樹木に覆われたままで、解説パネルで、辛うじて墳丘らしき地面の起伏が分かる?(かな?)。

朝倉古墳 - 2022/06/14 23:15:14

空間の記録。凄く良いです。楽しめます。!(^^)!

枝川古墳群1号墳 - 2022/06/14 23:10:54

空間を記録する。凄く良いですね!!

(川合)大塚山古墳 - 2022/06/14 23:06:34

東側の説明パネルが立つ所からクビレ部に向かう畦道で墳丘に上ると、中は竹林。足元には転落した(と思われる)葺石がかなり多目に感じます。
前方部には明治天皇の石碑に3つの石碑が建ち、後円部には小さな石碑と野仏。また、トラロープで囲われている所の他、量用ポールが数ヶ所立てられていて、何かの調査途中?かと思いましたが、
後日、それが盗掘騒ぎのあった箇所だったようで。。
竹の子採りの親子の過ちとの事。好奇心旺盛な子供達にはたまらなかったかも知れませんネ。何も知らなければ、ただのタケノコ山です。私の憶測です。
地元では竹の子採りが慣例化していたとのニュースもあって。タケノコ掘り=地面の掘り起こし。
墳丘上に転落した葺石の多さや、「竹の子掘り禁止」の張り紙があちこちに在ったのも合点がいきます。