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国土地理院陰影起伏図から西側の車道から遠望後円部正面朽ちたパネル
東側の後円部へ上がる階段墳頂の石祠後円部から前方部方向前方部から後円部
前方部裾前方部裾正面付近西側から全景墳丘南側裾の墓地

コメント (70)

聖人塚 - 2024/04/22 22:58:59


柏谷公園の駐車場に隣接するからくり時計広場と道を挟んだ所にあり、東側に後円部に上る階段がある。
傍らには朽ちたパネルがあり、現状は殆ど判読できない状態だった。
パネルは1995年に地区の長老会によって設置された物で、2008年頃は、まだ読める状態であった。
内容は以下。
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聖人塚(天皇峯) (前方後円塚)
一、木戸山(城戸山)芹沢(かしや)所有山である。ふくべ型の 頭部山頂に向原の山の神を祀りあり。
一、貴人の墓として大正時代の古老(江戸末期の青年)の話では通常木戸山と言い改め口調のとき須藤(さかや)文書により聖人塚又は天皇峯と語っていた又ふくべ型のためふくべ塚とも伝った。
一、大正末期までは山裾を途(みち)が廻って いた。
一、役場の明治十八年地誌調記によれば百穴 の西方に聖人塚(天皇峯)
一、芹沢氏個人の山だが奈良京都以外では見られない貴重な塚山だから区民一同大切に守り次世代に贈る心がけが肝要である。

平成七年三月 吉日 柏谷長老会
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文中「木戸山(城戸山)」「向原」は地名、「芹沢」「須藤」は個人名のようで。
「ふくべ」は干瓢(かんぴょう)、瓢箪(ひょうたん)と同義、「(かしや)」「(さかや)」は菓子屋、酒屋の事か?
少なくとも江戸の末期には、瓢箪形の貴人が葬られた塚(前方後円墳)と云われていた事が判る。

長柄桜山古墳群 - 2024/04/19 07:00:31

https://www.kanaloco.jp/news/life/article-1071613.html      
遂に保存整備事業完了です。

塚山古墳 - 2024/04/06 02:43:57

クビレ部の登り道や、墳丘上の前方部と後円部を繋ぐ歩道には枕木の階段が設置されて、遺るという葺石も見当たらず、剣菱型の前方丘前面の裾は直線状になっているようにもみえるので。新たに土を表面に入れて植栽されている?とも思えますが、不明です。
ツツジ満開のド派手な墳丘にはちょっとビックリですが、人それぞれ好みの問題ですね。駐車場(有料)もあって芝生と植栽も良く整備された公園でした。
ただし、1号墳周辺に犬連れで入れないのは残念でした。

日下ヶ塚(常陸鏡塚) - 2024/04/06 00:49:52

後円丘はゴッソリ、前方部も三方からザックリ切り崩され、
クビレに至っては幅2mもあるかと言う具合に墳丘はボロボロですが、
人家の間を抜けて、目前に現れた墳丘は、短小になっているものの、立派で存在感充分な大前方後円墳でした。
東に目をやれば、太平洋に遥か水平線を見渡す台地上です。
これだけ傷んでいながらも、えもいわれぬ風格を感じました。

笹塚古墳 - 2024/04/04 23:12:21

外観は樹木に覆われていますが、墳丘上は空けていて、大型の前方後円墳の姿が良くわかります。
前方部入口の坂や墳丘周辺には拳大の石が見られます、多分転落した葺石でしょう。
右側のクビレ部に木の根もあらわな崩落があって崖状になっていました。

弁天山古墳 - 2024/04/02 22:14:28

天井石も浦賀水道のパノラマも圧巻でした。
丹沢、富士山、箱根を背に対岸の横浜、横須賀はもとより。三浦半島の奥には伊豆の天城山塊まで。
海の東海道が一望できました。
古墳は土地の要所、一等地に在る事を実感します。

狐山古墳 - 2024/04/02 21:46:24

航空写真で見ると前方後円の形をした台地の上にあります。台地の高さは15m程、
その突端直下、六手(むて)公民館の背後は切り立った崖ですが、西に台地を回り込むと登り口があります。

古山八幡塚古墳 - 2024/03/06 23:38:24

墳丘及び周辺は竹が密生している。不明点は多いながら、前方後円の形は良くわかります。
前方部正面の直ぐ近くに木造の祠が載る塚(径5mくらい)が在ります。
境界や柵等は特に無いですが、民家の裏庭、敷地内のようでした。

中野富士山古墳 - 2024/03/04 21:57:35

県道沿いに古墳への登り口が在り、説明パネルが立っていて駐車場も併設されています。
そこそこの高度を階段で上ってゆくと、道端に東屋が建ち、正面に丘陵頂上の後円部が見えてくる。
後円丘の上には木のペンチが置かれ、ちょっとした展望公園です。
前方丘上には浅い窪みがありました。

葦間山古墳 - 2024/02/25 22:41:21

 小貝川の土手の上から古墳を眺めた第一印象は、 随分と低地に在るんだな。だった
 近代になって治水された小貝川は、古来から流路がなかなか定まらない河川だったらしく、昔の川筋はもっと離れていたのかもしれないと思う反面、低地であるのは築造以来の事実だろう。
 葦間山という名から、葦原に頭を出した小山を連想する、葦といえば湿地の植物、そんな時代もあったのかもしれないとも思う。さらに、前方部は過去千数百年の間に、出水で削られてしまったのか?。等々と妄想してしまう。
 いずれにせよ、低地は、地盤の安定という点ではリスキーな土地。地域最大の古墳の主は、地域の首長。最大有力者というのも間違いない事だろう。
人々は、何故この場所を選んだのだろうか。徳持という縁起の良い地名もちょっと気になる。
 県道側の標柱の横の踏み跡で、見上げる後円部頂に上った。
はなかなかの勾配で登りながら大きさを実感した。

 梵天山から車で最短ルートを目指しましたが、道幅狭く。
結局、車が通れそうなルートを探して付近をぐるぐる。2度ほど迂回しながら到着。 東側の赤鳥居の前に砂利敷きの広場が在って駐車は問題ありません。
 鳥居から階段で後円部上へ、正月松の内の訪問でしたが境内、社に正月飾りは無かった。前方部は殆ど平に均され、墓地になっている。
 台地上に立地とはいえ、梵天山台地の海抜25mに比べると10m以上低く、辺り一帯は水田。平らな前方部は過去に水害で流されてしまったというののあり得る・・?等と勝手な妄想をする。
追記:ちょうど梵天山台地との中間に在る微高地を往路に通ると、そこに鎮座する鹿島神社には多くの石祠が並び、本殿裏手に、石祠の立つ塚が在って、かなり古墳っぽさを感じた。

梵天山古墳 - 2024/02/23 21:15:23

 登り口の説明パネルは更新されて、実測図、古墳群配置図が新しい物になっていた。
墳丘は樹木に覆われているのと、南側からは手前に寺院が在って、全体像はわかりにくい。
一旦墳丘に上り、括れ部を乗越して北側からの方が全体のシルエットが分かりやすかった。
しかしながら、なにせ大きく、パノラマモードで画角に収めました。
 それにしても・・、
墳頂の7つの祠。古墳名にしても、、祀られる神様達の事はどこにもふれられておらず、
自分も記憶していないというのは。。今更ながら、どうなのかなア・・

梵天山古墳群 - 2024/02/23 17:22:39

 古墳群については、梵天山古墳の説明パネルに構成する各古墳の配置図がある他は、主だった古墳に名称の標柱が立つのみで、各々の規模、築造時期、編年等はよくわからない。
 国道地理院の陰影起伏地図を見ると、古墳群のある台地の久慈川を直に臨む段丘のへりに、主墳の梵天山古墳の後円部より大きな円丘が在り、比較推測すると直径は80m超えているよう。久慈川方向からの視認度では一番だろう、段丘直下には島横穴墓群が在るという場所。地図にも載っておらず。古墳だとすると全国的にも十指に入る大型円墳になる?。と、行って見た。
 主墳1号梵天山古墳、2号阿弥陀塚古墳と見て回るうちに、見当がついた杉木立の例の円丘に向かう。近付くと下草が刈られた緩やかな墳丘裾。数基のお墓が在り、そばに標柱「3号墳、高山塚古墳」が立つ。古墳は間違いないようだが。説明パネル等は見当たらず詳細は不明だ。少し上って石祠(2基)前を通ると、平らで小広い墳頂。西の久慈川方面は、杉が防風林のように立ち塞がって展望はきかなかったが、下に造り出しのような小高い段?上に数基の墓石も見えた。
 墳形は中華鍋を伏せた位の感じで、梵天山古墳の後円丘よりも、なだらかに感じた。樹木が間伐、枝打ちされ、見通し良く、開けた感じが一層そう感じさせるのかもしれない。
高さは2号墳より高く、10m位は在るかもしれない。
 途中、竹ぼうき、立ち鎌、熊手等が置かれていて、地元の保存会によって綺麗に手入れされているようだ。

 2号墳:阿弥陀塚古墳は、杉木立に覆われた推定径30m・高さ4mの円墳。こちらも説明パネルは無く、公式データは不明。名称のみの標柱が立つ。
墳頂は墓所で、手すりの付いたしっかり固められた参道が、二ヶ所設けられている。
 降りる途中、手前、丘の裾から、サササーっと走り去る獣を見た。ネコではない、イヌより細く、イタチより太い。多分キツネだ。
音もたてず鋭敏だった。

飯籠塚古墳 - 2024/02/16 23:40:24

車道に面して、古墳の看板が立っています。だいぶ傷んで字は消えかかってましたが、直ぐにわかりました。
 古墳は背後の丘上に在り、そこから細い路地に入ると古墳へ道標が在って、左に逸れる小道で登って行くと、左に小櫃川流域に広がる水田平野の眺望、対岸に浅間神社古墳のある丘陵尾根が見えます。
 程なく、山側に一段上がると説明パネルと背後の竹林の中に古墳の馬の背カーブが見えました。墳丘周辺は、降り積もった竹笹の落ち葉に足が潜りますが、密藪ではなく、程よく歩けます。所々に土の掘り起こしがあり、猪の仕業のようです。
 説明パネルのある小平地には栗の木と梅の木が植わってますが、今は放置され、余り人の来ない場所になってるのかもしれません。
 車で行きましたが、入り口周辺は、坂を登り切ったカーブで、駐車出来そうなスペースは無かったので。少し離れて車を寄せました。

浅間神社古墳 - 2024/02/16 00:23:27

広い田園の中をJR久留里線が単線で走り、向こうの丘陵の麓に立つ赤鳥居が見えます。
鳥居の横には2台分の駐車スペースあり、そこから石段で130段位、続く丸太階段は少し傾斜が緩やかながら大体70~80段を登ります。
 丸太の50段付近で少し平らになり、この辺りが前方丘正面の裾なのかもしれません。
登りきると真正面の奥に本殿が見えます。本殿前は小広い広場で、背後は高くなっていて、後円丘の上部は平らに均されているのでしょう。
尾根の上で、歩けるルート意外は樹木で、墳丘の裾、古墳の全体像は視覚的には良くわかりません。
 古墳の南側に沿う小路があり、森の奥に続いています。100m程も行くと、左手に大きなマウンドがありました。直径は30m以上、高さは5mは在る感じです。藪を掻き分け登ってみると、頂に石祠がありました。