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----西野水道入口と公園建屋無料貸しの長靴、ヘルメット等(公園内)
パンフレット入れは空でした・・古墳群のある西之山丘陵。賤ケ岳山頂から登り口脇のパネルから抜粋皇子山へ登る階段
東側の広場(ベンチ2つ)後方部裾の説明パネルから抜粋前方部南東角から墳丘全景後方部

コメント (80)

弁天山古墳 - 2024/04/02 22:14:28

天井石も浦賀水道のパノラマも圧巻でした。
丹沢、富士山、箱根を背に対岸の横浜、横須賀はもとより。三浦半島の奥には伊豆の天城山塊まで。
海の東海道が一望できました。
古墳は土地の要所、一等地に在る事を実感します。

狐山古墳 - 2024/04/02 21:46:24

航空写真で見ると前方後円の形をした台地の上にあります。台地の高さは15m程、
その突端直下、六手(むて)公民館の背後は切り立った崖ですが、西に台地を回り込むと登り口があります。

古山八幡塚古墳 - 2024/03/06 23:38:24

墳丘及び周辺は竹が密生している。不明点は多いながら、前方後円の形は良くわかります。
前方部正面の直ぐ近くに木造の祠が載る塚(径5mくらい)が在ります。
境界や柵等は特に無いですが、民家の裏庭、敷地内のようでした。

中野富士山古墳 - 2024/03/04 21:57:35

県道沿いに古墳への登り口が在り、説明パネルが立っていて駐車場も併設されています。
そこそこの高度を階段で上ってゆくと、道端に東屋が建ち、正面に丘陵頂上の後円部が見えてくる。
後円丘の上には木のペンチが置かれ、ちょっとした展望公園です。
前方丘上には浅い窪みがありました。

葦間山古墳 - 2024/02/25 22:41:21

 小貝川の土手の上から古墳を眺めた第一印象は、 随分と低地に在るんだな。だった
 近代になって治水された小貝川は、古来から流路がなかなか定まらない河川だったらしく、昔の川筋はもっと離れていたのかもしれないと思う反面、低地であるのは築造以来の事実だろう。
 葦間山という名から、葦原に頭を出した小山を連想する、葦といえば湿地の植物、そんな時代もあったのかもしれないとも思う。さらに、前方部は過去千数百年の間に、出水で削られてしまったのか?。等々と妄想してしまう。
 いずれにせよ、低地は、地盤の安定という点ではリスキーな土地。地域最大の古墳の主は、地域の首長。最大有力者というのも間違いない事だろう。
人々は、何故この場所を選んだのだろうか。徳持という縁起の良い地名もちょっと気になる。
 県道側の標柱の横の踏み跡で、見上げる後円部頂に上った。
はなかなかの勾配で登りながら大きさを実感した。

 梵天山から車で最短ルートを目指しましたが、道幅狭く。
結局、車が通れそうなルートを探して付近をぐるぐる。2度ほど迂回しながら到着。 東側の赤鳥居の前に砂利敷きの広場が在って駐車は問題ありません。
 鳥居から階段で後円部上へ、正月松の内の訪問でしたが境内、社に正月飾りは無かった。前方部は殆ど平に均され、墓地になっている。
 台地上に立地とはいえ、梵天山台地の海抜25mに比べると10m以上低く、辺り一帯は水田。平らな前方部は過去に水害で流されてしまったというののあり得る・・?等と勝手な妄想をする。
追記:ちょうど梵天山台地との中間に在る微高地を往路に通ると、そこに鎮座する鹿島神社には多くの石祠が並び、本殿裏手に、石祠の立つ塚が在って、かなり古墳っぽさを感じた。

梵天山古墳 - 2024/02/23 21:15:23

 登り口の説明パネルは更新されて、実測図、古墳群配置図が新しい物になっていた。
墳丘は樹木に覆われているのと、南側からは手前に寺院が在って、全体像はわかりにくい。
一旦墳丘に上り、括れ部を乗越して北側からの方が全体のシルエットが分かりやすかった。
しかしながら、なにせ大きく、パノラマモードで画角に収めました。
 それにしても・・、
墳頂の7つの祠。古墳名にしても、、祀られる神様達の事はどこにもふれられておらず、
自分も記憶していないというのは。。今更ながら、どうなのかなア・・

梵天山古墳群 - 2024/02/23 17:22:39

 古墳群については、梵天山古墳の説明パネルに構成する各古墳の配置図がある他は、主だった古墳に名称の標柱が立つのみで、各々の規模、築造時期、編年等はよくわからない。
 国道地理院の陰影起伏地図を見ると、古墳群のある台地の久慈川を直に臨む段丘のへりに、主墳の梵天山古墳の後円部より大きな円丘が在り、比較推測すると直径は80m超えているよう。久慈川方向からの視認度では一番だろう、段丘直下には島横穴墓群が在るという場所。地図にも載っておらず。古墳だとすると全国的にも十指に入る大型円墳になる?。と、行って見た。
 主墳1号梵天山古墳、2号阿弥陀塚古墳と見て回るうちに、見当がついた杉木立の例の円丘に向かう。近付くと下草が刈られた緩やかな墳丘裾。数基のお墓が在り、そばに標柱「3号墳、高山塚古墳」が立つ。古墳は間違いないようだが。説明パネル等は見当たらず詳細は不明だ。少し上って石祠(2基)前を通ると、平らで小広い墳頂。西の久慈川方面は、杉が防風林のように立ち塞がって展望はきかなかったが、下に造り出しのような小高い段?上に数基の墓石も見えた。
 墳形は中華鍋を伏せた位の感じで、梵天山古墳の後円丘よりも、なだらかに感じた。樹木が間伐、枝打ちされ、見通し良く、開けた感じが一層そう感じさせるのかもしれない。
高さは2号墳より高く、10m位は在るかもしれない。
 途中、竹ぼうき、立ち鎌、熊手等が置かれていて、地元の保存会によって綺麗に手入れされているようだ。

 2号墳:阿弥陀塚古墳は、杉木立に覆われた推定径30m・高さ4mの円墳。こちらも説明パネルは無く、公式データは不明。名称のみの標柱が立つ。
墳頂は墓所で、手すりの付いたしっかり固められた参道が、二ヶ所設けられている。
 降りる途中、手前、丘の裾から、サササーっと走り去る獣を見た。ネコではない、イヌより細く、イタチより太い。多分キツネだ。
音もたてず鋭敏だった。

飯籠塚古墳 - 2024/02/16 23:40:24

車道に面して、古墳の看板が立っています。だいぶ傷んで字は消えかかってましたが、直ぐにわかりました。
 古墳は背後の丘上に在り、そこから細い路地に入ると古墳へ道標が在って、左に逸れる小道で登って行くと、左に小櫃川流域に広がる水田平野の眺望、対岸に浅間神社古墳のある丘陵尾根が見えます。
 程なく、山側に一段上がると説明パネルと背後の竹林の中に古墳の馬の背カーブが見えました。墳丘周辺は、降り積もった竹笹の落ち葉に足が潜りますが、密藪ではなく、程よく歩けます。所々に土の掘り起こしがあり、猪の仕業のようです。
 説明パネルのある小平地には栗の木と梅の木が植わってますが、今は放置され、余り人の来ない場所になってるのかもしれません。
 車で行きましたが、入り口周辺は、坂を登り切ったカーブで、駐車出来そうなスペースは無かったので。少し離れて車を寄せました。

浅間神社古墳 - 2024/02/16 00:23:27

広い田園の中をJR久留里線が単線で走り、向こうの丘陵の麓に立つ赤鳥居が見えます。
鳥居の横には2台分の駐車スペースあり、そこから石段で130段位、続く丸太階段は少し傾斜が緩やかながら大体70~80段を登ります。
 丸太の50段付近で少し平らになり、この辺りが前方丘正面の裾なのかもしれません。
登りきると真正面の奥に本殿が見えます。本殿前は小広い広場で、背後は高くなっていて、後円丘の上部は平らに均されているのでしょう。
尾根の上で、歩けるルート意外は樹木で、墳丘の裾、古墳の全体像は視覚的には良くわかりません。
 古墳の南側に沿う小路があり、森の奥に続いています。100m程も行くと、左手に大きなマウンドがありました。直径は30m以上、高さは5mは在る感じです。藪を掻き分け登ってみると、頂に石祠がありました。

白山神社古墳 - 2024/02/15 22:45:17

久留里街道に面して大鳥が立ち、駐車場が在ります。トイレも在りますが、古式です。
 杉の大木に囲まれた参道を上ると拝殿と本殿。境内は静かで厳かな空気が漂います。
本殿の鎮座する土台の木組みは見事で立派でした。
 古墳は更にその背後の台地上にあり、少し戻って緩い坂道を上がって行くと墳丘が現れ、「前方部が未発達・・、」とは言え、思っていた以上に高くそびえる前方部から、馬の背カーブを描いて盛り上る後円部に上がりました。中央部は窪地がそのままになっています。
眼下に社殿が見えて、境内は古墳を仰ぎ見る様に配置されたのかも・・と思いました。
 墳丘を降りて更に奥、後円丘の先の対の灯篭の立つ所には、井戸ようなタテ穴が開いていて、奥は横に続いているようです。明治期に古鏡等が出土と伝わる陪塚の開口部なのかもしれません。
 

能満寺古墳 - 2024/02/12 18:27:22

 広い水田地帯に沿う車道が、能満寺の在る台地に上る坂の手前に最初の説明パネルが立っていて、そのま直進すると正面に「慈願山 能満寺」の石柱と古墳への道標が立っている。右手の駐車スペースは、充分に広く、時期には学童見学のバスも入るそうで、トイレも在る。
道標に従い杉木立の路を行くと左手にボッコリと存在感のある墳丘が現れます。

この古墳の横を通る路は「関東ふれあいの道(首都圏自然歩道)/千葉県コース13 先住民のあるいたみち」として整備され、茂原市から油殿古墳群を経てここを通過して上総一ノ宮方面に通じる自然歩道で、ちょうど後円部の先に大き目の東屋が在った。

台畑古墳 - 2024/02/12 17:00:28

多くの例にもれず、河岸段丘のへり。台地ばたに横たわる古墳。
小貝川流域の水田地帯には彼方此方に野焼きの煙が見えて、東端の河岸段丘沿いの車道を行く。
 そこから台地を斜上する小道は舗装路ながら車幅はギリギリで、密に茂った篠竹が覆い被さっている所もあったので、車は寄せて停めて、徒歩で上って行くと説明パネルが立っていた。
 前方部の端辺りを一段上ると、一帯は見晴らしがとても良い所。なのだろうが、あいにく目線の下は西側斜面の灌木に阻まれている。
 墳丘上は低木は除かれ、其なりに手入れされているようで、立木は落葉して見通し良く落ち葉が厚く積もって足が潜る。後円部頂に石祠。右手に板石が土中から傾けて顔を出している。
埋まっている深さまでは知る由もないが、厚さは15センチくらいはあって横一文字に白い帯が入っている。一瞬ペンキで?と思ったが、白い石の層が入った自然石のようだ。
 文字が掘られているが歌碑や忠魂碑ではなさそう、信仰的な物?単なる墓石?
後世にわざわざここまで持ち上げて??目的は何であれ石室の部材(の流用?)と考えるのが自然なような気がする。5~6文字の漢字は判読出来なかった。

谷畑古墳群第1号墳 - 2024/02/12 13:31:50

 名前とおり、小櫃川の河川低地に開口する谷津を臨む岬状地形の突端に造られた
谷津(戸)の端に在る古墳です。元々の地形を整形して造られたのかもしれません。

 阿倍神社の鳥居の前に広場があり、そこに駐車。
広場の奥は、遊具のある公園になっています。
古墳の案内、説明パネルは在りません。

 鳥居の背後の丘は、まさしく前方後円の形を感じますが、墳丘は全体的に大きく改変されている様で、後円部は裾のカーブでなんとなくわかりますが、前方部ははっきりしません。 クビレの裾(推測です)に建つ鳥居から階段を上がると、お社が正面に建っています。墳丘上部は馬の背のアップダウンは無く、前方部・後円部を通して平らに均されているようです。
 
社はクビレ部の上に在るようにも思います。

坂稲荷山古墳 - 2023/09/30 22:24:16

やまびこ(カラオケ屋さん)の所で、舗装路から左に逸れる畦道に入る。
林に入り、暗く篠竹の密生する中も道は明瞭で
蜘蛛の巣を除けながら一寸した起伏(外堤?)を越える辺りで
前方丘の袖辺りに立つ鳥居が見えます。
祠は前方丘上にあり、後円丘の上は木立だけです。