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古墳 (92)
<群馬> 下郷天神塚古墳 |
<群馬> 朝倉瀧古墳 |
<群馬> 鈴塚古墳 |
<群馬> 八幡原町若宮2152所在古墳 |
<群馬> 下郷SZ37古墳 |
<群馬> 若宮八幡北古墳 |
<群馬> 上両家二子山古墳 |
<群馬> 上並榎稲荷山古墳の石棺 |
<群馬> 上陽村13号墳 |
<群馬> 上陽村12号墳 |
写真 (421)
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コメント (65)
鈴塚古墳のみ写真を撮り忘れてしまいました…
訪問当時は草が茂っており、現存墳丘は確認できませんでしたが、ストリートビューでは確認できます。
現在墳丘の南側にソーラーパネルがあり、これが墳丘を若干削っているように見えます。
埴輪出土地を示す標識は現在は道路沿いに設置されていますが、実際に墳丘があったのは北西に約130mほどの場所にあるY字路の部分です。
高崎市教育委員会1981『元島名将軍塚古墳』など一部の文献によると、こちらが下滝3号墳だという記載があります。その記載によれば、この古墳は直径53mの円墳だということです。
高崎市教育委員会1981『元島名将軍塚古墳』など一部の文献によると、こちらが御伊勢山古墳だという記載があります。その記載によれば、この古墳は後円部を北北西に向けた前方後円墳で、現存墳丘は前方部の大半にあたるということです。
築造年代は概ね5世紀代と推定されています。
写真に所有者様と近隣住民様が写ってしまっているため、該当箇所にモザイクを入れてあります。
古墳見学のために私有地への侵入を許可してくださった持ち主様、ありがとうございました。代表して1号墳のページにコメントします。
上毛古墳総覧によれば、古墳調査時(昭和10年8月頃)は、この古墳は「丸木山」と呼ばれていたようです。
ストリートビューからは、石室が開口しているように見えますが、実際に行ってみると石室に切石が使われており、見た目以上に充実した内容でした。今年の古墳納めになりましたが、充実した内容で良かったです。石室は開口部はネットがかけられており、正面からは入れませんでしたが、羨道左側壁部分から石室に降りることが可能です。
所属する古墳の一覧表を作成しました。もしかしたら漏れがあるかもしれません。
2022.9/25再訪
彼岸花が満開で綺麗でした。
先日群馬県の古墳に関する論文を読む機会があり、その中にこの古墳についての詳細があったので書いておきます。
(以下要約)昭和35年に石室と墳丘の一部が発掘され、当時から円墳ではない特異な墳丘であることが認識されていた。石室はほぼ南に開口する両袖型で、全長7.05m、玄室長4.15m、同奥壁側幅1.90m、同前幅1.45mの羽子板型でやや胴張りである。発掘の成果をもとに梅澤重昭氏らは2段築成の正八角形墳と想定されている。それによれば、1段目は径23.5m、一辺9m、2段目は径18m、一辺約7mとされている。
出典:群馬県立歴史博物館紀要 第22号
右島和夫著 6世紀後半における多角形円墳の出現とその背景-群馬県地域における八角形墳の再検討- 11.19頁
44号墳目的できたせいで写真を撮り忘れました…
現在の様子はストリートビューとあまり変わりません。
石室床に木屑が撒かれており、足場が悪く奥まで行けませんでした。