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5号墳(天井部)5号墳(右側壁の石積み)5号墳(羨道部⇐玄室から)6号墳(径17m・高さ3mほど)
6号墳(西に小さく開口)6号墳(玄室内部⇐奥壁から)6号墳(玄室内部)6号墳(左側壁の石積み)
6号墳(天井部)8号墳(径10m・高4m)8号墳(北東側に開口⇐奥壁)8号墳(西向きの石室)

コメント (368)

助近古墳 - 2016/05/02 21:16:07

民家の方にお願いして見学さしてもらう。古墳脇に赤い車が有り、マップの航空写真の車かと。小さな茂みに天井石が3石露出しています。石室は完全に埋もれています。

漆原古墳群 - 2016/04/29 23:50:16

1号墳
発掘調査された様で、その後竪穴式石槨を埋め戻し?したのか盛土がしてあり、その上に長石を墓石の様に立てて有ります。脇にはかって文字が書かれていたと思われる朽ちた柱が立っています。

2号墳
1号墳脇に径15m、高さ2.5~1mほどの立派な墳丘が有ります。墳頂には北東方向に長さ5m、幅3.5m、深さ1mほどの盗掘坑の跡が見られ、石材が1石露出しています。

3号墳
2号墳の南西15mに径10m、高さ1mほどの墳丘が有ります。墳頂に盗掘坑の跡が有り、30㎝前後の石材が5石ほど露出しています。(幅60㎝の長方形の形に置かれている様にも見える?)

4号墳
3号墳の西5mに径7m、高さ1~0.5mほどの墳丘が有ります。盗掘坑の跡が見られます。

5号墳
4号墳の南西20mに径10m、高さ1mほどの墳丘が有ります。西側は削られ、細長い墳丘に見えます。墳頂には南北方向の盗掘坑跡が残り、横穴式石室の天井石らしき石材が1石露出しています。墳丘南側にも天井石らしき石材の散在が見られます。

大佐横路古墳 - 2016/04/29 23:21:13

この地区はマップに何故か等高線が入っていないので位置を示し難いですが、田んぼ(休耕田?)の奥50mの杉林に有りました。墳丘は無く、南に横穴式石室が開口しています。石室長さ2.7m(露出部)、幅1.3m、高さ0.6mほどです。奥壁は鏡石の上部が露出し、その上に調整用の石材が積まれています。天井石は2石載っていて、羨道側にも天井石が存在します。その天井石の下に側壁と思われる石材が潜り込んでいる様に見えます。

番外
県道32号線から丘陵に入る所に「山田方谷記念館」が有り、案内板を見ていたら、近くの大佐山山麓に「夏日の極上水」が有るらしく、調べると平成の名水百選で岡山県で唯一選定されたらしく、さっそく20ℓ容器を購入して寄ってみました。(#^.^#)

青地古墳群 - 2016/04/29 22:59:17

1号墳
市民体育館西側の山道を行くと、水道設備(キャンプ用?)が有り、その西側に接して有りました。封土は無く天井石が露出しています。墳丘周りも道路や水道設備で削られているように見えます。天井石は3石載っていて、南に開口しています。天井部の入り側から奥壁までの長さは2.5mほどの石室です。奥壁は四角の石をパズルのようにはめ込んだ面白い形に見えます。

2号墳
1号墳前の山道の反対側に墳丘が有ります。山道で削られ、墳丘の断面が露出しています。墳頂に天井石が2石露出していますが、石室入口の開口は無いようです。天井石の隙間から側壁の一部が覗いています。隙間にカメラを差し込んでみると、埋もれ気味ですが奥壁側の石室が存在していました。道路側をもう少し削る事になっていたら、奥壁が露出していた様に感じます。

3号墳?
北側尾根上に側壁の石材配列らしき物が見られます。石室の開口は見られず、古墳かどうかは定かではありませんが、下方には天井石らしき石材が見られます。

龍頭1号墳 - 2016/04/29 22:30:10

県道脇の駐車スペースに車を停めて参道を20mほど登ると、右手の藪に天井石の露出が目に入ります。開口している方が奥壁側で、鏡石が残っています。天井石は4石見えますが、1石が割れて石室内に倒れ込み石室を塞いでいます。石室の大きさは概ね情報通りで、石室の高さは1.1m程度です。幅は奥壁側の方が広い感じです。石材は荒々しい割石が使用されています。

本庄高山1号墳 - 2016/04/21 19:34:22

岡山ブルーラインの邑久IC北の本庄集落より、丘陵道を車で上がりましたが、途中に通行止めの柵が有りそれ以上進めません。そこから歩いて行くと、山頂の貯水設備に到着しました。その付近から尾根の激しい藪を歩くと、尾根上の藪に立派な墳丘が有りました。西側1m、東側3mほどの高さに見えます。南東に開口していますが、埋まり気味で現存石室長さは2.3m、幅1.3m、高さ0.9mほどです。天井石は2石で、奥壁は小さ目の石を積み重ねています。全体に荒々しい形の石材が使われています。側壁は上部しか露出していないが、持ち送り感が有る石積みです。

古墳南側10mほどで、岡山ブルーライン道路の崖上です。帰りは藪歩きはしたくないと思い、コンクリート吹き付けの崖を下りて岡山ブルーライン道路に立ちましたが、自動車専用道路を歩く事は出来ず、再度崖を登り、藪と格闘しながらの帰り道になってしまいました。(#^.^#)

尻海松尾古墳 - 2016/04/21 18:46:54

畑脇の尾根上に径10m、高さ1.5mほどの墳丘が有ります。円墳とされますが、墳丘裾は削られ直線的な形状です。墳頂は平坦化され、社が祀られていました。

寒風古墳 - 2016/04/20 21:20:02

寒風陶芸会館北側に国指定史跡の寒風古窯跡群が有り、その一角の緩やかな畑に古墳が有りました。墳丘は全く無く、畑地に標識が有るだけですが、石材が1石露出しています。説明板の写真にある奥壁の石材に似ています。側壁の石材は埋め戻しのため埋まっている様です。この古墳の特徴は、床面に敷かれた須恵器床で、すぐ北側の1号窯で焼かれた事が分かっているとの事です。そちらに行くと、1号窯は3窯有った様ですが、跡地は平地になっています。付近には白っぽい須恵器片が多数見られます。(須恵器片は文化財のため持ち帰り禁止の表示有り)
古墳東側30mにも2号窯跡が見られます。

寒風陶芸会館の石棺 - 2016/04/20 20:48:06

寒風古墳を見学に行った際、寒風陶芸会館の隅に箱型の石と看板が見えたので行ってみると、石棺が保管されていた。石棺の蓋は無いが、表面を削った小さなデコボコ跡が見られます。

茶臼嶽古墳 - 2016/04/15 21:32:23

サントピア岡山総社の駐車場から整備された散策コースが尾根上に有ります。尾根上の一丁ぐろ古墳群脇を歩くと、金刀比羅の鳥居が有り、さらに進むと金刀比羅神社後方の山頂に有りました。

墳丘を登りながら見ると、葺石らしき石がへばり付いているのが見られます。墳頂に立つと、前方部を東に向ける立派な墳丘を見る事が出来ます。こんな大きな古墳なのに、最近まで分からなかった(大きい事で反対に分かりずらい?)事が不思議です。一丁ぐろ古墳群の延長線の位置で有ったり、墳頂に祠や大きな盗掘坑が有るのに分からなかったのは、山全体が物凄い藪に覆われていた為と想像してみます。(#^.^#)

墳頂には北方向に幅5m以上、深さ1.8m、長さ9m以上の石室を掘り出した様な跡が残っています。

砂古22号墳 - 2016/04/15 21:00:51

尾根先端から藪に入ると、高さ2.5mほどの立派な墳丘が残っています。墳丘周りは平坦になっていて、西側には開墾の形跡が有ります。墳丘南側は方墳の形がよく残っています。西に開口するとされますが埋まっていて、天井石が崩落気味に石室内に落ち込んでいる様に見えます。天井部の奥壁側と思われる所に小さな穴が有り、懐中電灯を差し込んでみると石室を見る事ができ、奥壁側の石室は存在するようです。天井石の崩落状態を見ると、発掘調査はされていない様に見えます。(#^.^#)

大塚古墳(高梁市) - 2016/04/13 21:53:27

尾根上の少し緩やかな面に有りました。墳丘高さ3mとされていますが少し低く感じます。天井石は2石が残るのみで、石室、羨道側の天井石は無くなっています。南に開口していますが、羨道側は埋もれています。奥壁は2段積みで、石室寸法はほぼ情報通りです。墳丘周りには外護列石といわれる石垣の列が見られます。

七地古墳群 - 2016/04/13 21:37:59

1号墳
谷を登って行くと、西側斜面に有ります。南に開口した横穴式石室です。石室長さ5mとされますが、埋もれているせいか、見える範囲の石室長さは2mほどです。幅も2mもなく0.8m、高さ0.7mほどです。奥壁側の方が幅が狭くなっています。

2号墳
天井石は取り外されているとの事ですが、奥壁側に1石見え、両側に側壁の一部が露出しています。石室方向は南側ですが、埋もれています。石室幅2mとされるも、見えているのは0.7mほどです。奥壁側の一部しか露出していないが、奥壁の雰囲気が1号墳と似ていて、同じ様な造りの石室ではなかったのかと想像してみました。(#^.^#)

佐々木1号墳 - 2016/04/13 20:28:46

R313号線から70mほど奥の民家裏に横穴式石室が開口しています。奥壁のみ残存するとの事ですが、奥壁、側壁、天井石が存在しています。天井石は後に載せられた感じです。現存石室寸法の長さ、幅は情報と同じで、高さは1.6m程度です。

2号墳が西側500mのR313号線付近に円墳が有る様ですが、よく分からず。

天王山古墳(高梁市) - 2016/04/13 20:13:55

疫神社境内の南端に径4~5m、高さ0.7mほどの高まりが有り、小さな社や祠が祀られていました。