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7号墳(墳丘)7号墳(羨道側埋没)7号墳(天井部が僅かに開口)7号墳(玄室内部)
7号墳(右側壁)7号墳(左側壁)7号墳(天井部)7号墳(奥壁から)
7号墳(袖部不明瞭)5号墳(墳丘)5号墳(羨道部の石材)5号墳(南西に開口)

コメント (368)

秦茶臼山古墳 - 2016/02/01 19:48:06

2年前に行った時、お墓の思い出だけで古墳の存在は分からず帰った記憶があり、近くの古墳を見学したついでに再度行ってみた。

丘陵の北側から登ると、頂上は平坦で細長く整地されている。整地の形状を見ると、北西側に前方部を向けた前方後円墳の形に見えるが、情報では、南に前方部を向けるとされており、反対の様です。しかも整地の方向と、古墳の主軸もずれている様な感じです。(実際はどうか?)墳丘の裾を辿ってみますが、削られていて結局どんな形かよく分かりません。

墳頂には興禅寺歴代墓地の石碑があり、歴代の和尚さんを葬っているようです。脇の藪には、かなり古い無縁墓も見られます。

秦大ぐろ古墳 - 2016/02/01 19:28:55

2年前の見学で地元の方に場所を尋ねた時、古墳までの道は無いとの話だったので、早々と諦めて帰ったが、藪や斜面歩きも体力増進の為と、最近苦にならなくなったので再度行ってみた。

集落に有るお堂脇の細い山道から尾根道を上って行きます。途中のお墓脇を上ると竹藪に入ります。それを抜けると少し藪状態が続いたので、ある程度藪歩きを覚悟しましたが、すぐ未透視の良い雑木に立派な墳丘が見えてきました。墳丘周りは綺麗に下草が刈られています。

古墳は尾根先端に造られ、眼下に高梁川が流れています。後円部墳丘は高く盛上り、墳丘斜面は何か段差が有る様に見えます。葺石らしき集合も所々に見られます。墳頂は平坦で、何かを掘り出した跡が残っています。三角点の測量標識も見られます。全般に前方後円墳の形が良く残っています。前方部脇には、平成27年1月に設置された比較的新しい説明板も設置されていました。

追留山古墳 - 2016/01/22 21:36:42

古墳は、南北に延びる尾根上に有ったと推定されますが、尾根西側を平地や宅地に造成した事により、消失した様に思います。現在は、宅地脇の小さな公園に、古墳の石碑と小さな社だけが痕跡として残っています。

経寺山古墳群 - 2016/01/21 20:58:29

丘陵南側の尾根先端の登り口から山頂を目指します。西側の山頂に有る寺崎山古墳から東側の尾根を進むと、山頂付近に低い墳丘が存在していました。墳頂部は凹んでおり、盗掘された跡の様です。

更に北側の尾根先端に有ったとされる、2号墳の痕跡を求めて藪中を歩いてみましたが、それらしい跡を見つける事は出来なかったです。

中塚古墳群 - 2016/01/20 19:46:40

1号墳
民家裏の山裾に有ります。墳丘は流出し、石材が露出しています。天井石が2石載り、1石は崩落しています。現存石室長さは3.5m、幅1.2m、高さ0.7m程度です。

2号墳
1号墳から南西方向を見ると、石材が露出しているのが見えます。現存石室幅は0.9m程度です。石室脇に大きな木が切られていますが、切り口からすると、そんな昔に切られた物ではない様に見えます。天井石は木の根で持ち上がっていて、生命力の力強さを感じます。

3号墳
2号墳の南側20mの笹藪に天井石1石が露出しています。向きからすると、他の古墳と同じ様に東に開口していたと思われます。すぐ脇にも石材らしい石が覗いていました。

寺崎山古墳 - 2016/01/19 20:35:01

丘陵南側の尾根先端の道路脇に古墳の案内板が有り、そこから藪中の山道を登ると、山頂に墳丘が有ります。方墳らしき面影が有ります。墳頂には1.6m×2mぐらいの四角の石段が有ります。中央部が高い事から、なにか置かれていた様に思われます。墳丘には落ち葉が堆積し、葺き石を見る事は出来なかったです。

鼓山古墳群 - 2016/01/18 18:56:14

見学は3号墳⇒4号墳⇒2号墳⇒1号墳の順で見学しました。

杉尾集落の地元の方に聞くと、山神社の脇道から登って行くと教えてもらう。今の時期は道に笹が生えているが、春には付近の園児が遠足で登るので、年1回の行事で、みんなで草刈りをするという。山道を登って行くと、笹の影響は無いが、真直ぐ登る道なので、勾配がきつく園児はたいへんだろうなぁと思いながら山頂を目指す。

3号墳
山頂は、おおむね平坦な場所です。高松城の水攻めで、羽柴秀長が陣を張った場所と言われる場所です。430年前、刀や槍を持った沢山の足軽や馬がこの地を踏みしめていたんだろうなぁと、しばしタイムスリップです(#^.^#)。
看板脇に石材が露出しています。石室主軸は南北方向に見えます。おお昔、この丘陵の南は海で有ったり、吉備中山方面を見はらすために、南側が羨道側ではと思ったりしますが、南側に奥壁の様な鏡石が有る様にも見えたりするので、羨道側がどちらかよく分からず。

4号墳
北東に延びる尾根上を進むと、山頂の手前に低い墳丘が有ります。現在の痕跡は墳丘のみです。

2号墳
3号墳から西に延びる尾根道を下りて行くと、道脇に低い墳丘が有ります。墳頂には僅かな凹みが見えます。

1号墳
2号墳の裾と接し、下方側にやや高い墳丘が有ります。墳頂には、大きな盗掘坑が存在していました。

真城寺裏山古墳 - 2016/01/18 18:10:39

集落に有る真城寺の鳥居前に立つと、急こう配の石段が目に入るが、鳥居周辺の伸び放題の枯れ草が気になった。あまり人がお参りしないお寺だろうと思ってしまった。(現地に行ったら納得した)

尾根の急こう配の石段を登って行くと、洞窟の様な穴が山道脇に有る。柵がして有り、中を覗くと洞窟が奥に延びている。落ちたらまず上がってこれない恐怖感が有る。

更に落ち葉の堆積した急斜面の石段を登って行くと、山頂らしき平地に社が朽ち果て、崩れ落ちています。現在、真城寺は存在しない状況です。そして東脇にも、かっては生活していた痕跡の有る小さな家が有りますが、これも朽ち果て崩落寸前です。(見学後、地元の方に聞いた話では、かって住職が住んでいたという。そう言えば、昭和30年代のテレビが家の中に見えたので、50年前までは、生活していたんだろうと納得する)

前方部は、寺を建てる為に南側が削られ歪な形で、北側の裾もはっきりしません。くびれ部から前方部に入った10mぐらいの位置に、段差が見られます。ここを前方部の裾と見ると、前方部10mと言う事なんだろうと思います。素人目では、後円部の立派な墳丘を見ると、前方部25m、全長50mの墳丘に見えます(#^.^#)。

後円部の墳頂には、南北方向に深い盗掘の跡が残っています。おそらく竪穴式の石室だったのではないかと想像してみました(#^.^#)。


飯盛山古墳 - 2016/01/15 22:52:16

尾根先端から山頂を目指しますが、山道は無く、藪の中をひたすら登って行きます。山頂に到着するも、墳丘はかなり形が崩れていて、古墳かどうかその時は判断できず。後円部に竪穴式石槨が存在する様なので、墳丘に上がるも、シダが群生しているために見えず。シダを掻き分けたみると凹みが有る事から盗掘坑の様です。シダを取り除いてみると、平らな石が1枚見えますが、石槨は見えないので埋もれているのだろうと、落ち葉を取り除いていると、別の石が出てきた。更に取り除くと、5㎝ぐらいの隙間が現れる。電灯を差し込むと、竪穴式石槨らしい事が分かったので、初めて古墳だと確認できた。

小さな石が積まれていて、表面は情報の通り、赤色顔料が塗られている様です。石槨の幅は70㎝程度です。奥行きは70㎝で埋まっています。石槨の主軸方向は古墳と同じ様に、南西に向いている様に見えました。隙間が狭いのでカメラのフラッシュ部が入らず、電灯を差し込んでの撮影で、うまく撮れなかったです(#^.^#)。

藪田古墳群 - 2016/01/15 22:20:17

1号墳
集落の近くに木を伐採した低い斜面に、墳丘と分かる盛上りが有ります。石室口が南西に開口していますが、僅かな隙間しか開いていません。中を覗くと、埋もれ気味ですが石室がよく残っています。頭を入れようにも入る事が出来ず、カメラを挿入しての撮影しかできません。墳丘脇には、開墾で集められた小石が集積されています。

2号墳
南東に開口する横穴式石室も、隙間は20㎝ぐらいしか開口していません。墳丘は開墾で削られ、歪な墳丘になっています。特に北西側は、側壁が覗いています。奥壁も横から覗ける状態です。奥壁は1枚もので、小さ目の石室です。

5号墳
岡山自動車道の下をくぐり抜けると、柿園に立派な墳丘が有ります。石室は天井石6石、奥壁は2段積みで、なかなか立派な石室です。入り側の天井石は複雑に亀裂が入り、崩落の予感です。墳丘裾には、柿園周辺の開墾で出たと思われる小石が集積されている様に見えました。

7号墳
5号墳の南東250mの藪内に墳丘が有ります。墳丘南西側の羨道側と思われる所に天井石が崩落し、石室入口は埋まっています。天井石の下に手を入れると、僅かに隙間が有ります。墳頂に立って北東側を見ると、墳丘が削られた様に見えます。下に下りてみると、石室が開口していた。よく見ると、奥壁らしい少し小さ目の平石が立っている。多分奥壁の鏡石だと思った。石室は埋もれ気味ですが、石室現存長さ4.5m、幅1.2m、高さ1.2m程度です。天井石は6石載っています。

6号墳
5号墳から7号墳周辺の丘陵をくまなく歩いてみたが、全く手掛かり無しでした。(周辺は棘のツタが密集しており、夏場は無理の様です)

宗形池古墳 - 2016/01/15 21:26:55

池の間の土手を進むと、工場建屋東側の畑脇に石材が見られます。封土は流出し、天井石が露出しています。裾も畑や小道、墓で削られています。天井石の方向から、石室の向きは南南西で、下方の宗形池の方向です。石室入り口は笹が生い茂っているので、掻き分けて入ります。奥壁は鏡石に縦長の石を合わせて、隙間に小石を丁寧に詰め込んでいます。天井石は5石で、右片袖式の石室です。石室高さは、1.7m程度です。

宗形神社古墳 - 2016/01/15 20:58:20

宗形神社の鳥居の前に到着すると、神社の説明文の看板が有る。読むと、大化の改新以前から有ったうんぬんと書かれている。かなり古い神社の様です。石段を登って本殿に到着すると、東脇に小さな社が有る。説明文に有った疫神社と、租霊社かなぁと思いながら神社後方に回り込むと、墳丘が有りました。脇に説明文が有りましたが、劣化してよく分からないです。石棺発見時は、本殿側の墳丘をかなり削っていた様です。現在は復元され、本殿側の裾周りには、墳丘流出防止のためか、石の配置が見られます。

井山古墳 - 2016/01/15 20:36:54

丘陵の山頂に有る前方後円墳は、前方部を南に向けた形に見えます。後円部墳頂は平坦な形状です。。墳丘の形は、山道によってかなり削られていますが、前方後円墳の形がおぼろげに残っています。

耳切池奥古墳群 - 2016/01/13 22:15:56

1号墳
果樹園の作業用の道脇に石材が露出しています。羨道側は南の里方向です。奥壁は1枚もので、側壁は、概ね2段と調整石で積まれています。石室は四角形状、高さ1.7m程度です。

2号墳
ヒノキ林の西側に有ります。石室口の下側に天井石2石が落下しています。石室内は埋もれ気味で、這って入ります。天井石2石、奥壁は2段、高さ0.9m程度です。

3号墳
2号墳と墳丘の裾が接しています。石室入り口の天井石1枚が、片側外れで崩落しています。後方の天井石は、隙間が20㎝程度開口していますが、中は埋まっています。墳頂には天井石が露出していて、僅かな隙間が有り、そこに頭を真下に突っ込むと、奥壁側を見る事が出来ます。中は埋もれていますが、奥壁、側壁の一部が覗いています。

4号墳
墳丘は無くなり、天井石が1枚載っています。奥壁側にも天井石らしき1枚が石室内に落ち込んでいますが、天井石にしては短く、石の断面を見ると破断の痕跡が有るのと、反対側の側壁上に有る石の断面も破断の痕跡で、形が合いそうなので割れた様に感じます。床面にも天井石らしき石材の一部が覗いています。落下して埋まった様に思います。

耳切北ノ塚古墳 - 2016/01/13 21:28:13

丘陵の藪内を歩いて探していると、開墾した尾根上で桃の剪定をしていた地元の方が居られたので、藪から出て尋ねると、古墳かどうかは分からないが、石を積んだ物が昔から有ると、5mほどしか離れていない所を指されたので少し驚いた。よく見ると草の中に石が覗いていて、板石と蓋石が見えたので箱式石棺と分かりました。露出状態が、イメージしていたものと違っていたので驚いた。写真を撮っていると、石棺上の竹の束を取り除いて下さるので恐縮です。(*^_^*)   石棺の幅(内径)は0.5m、長さは1.8m?(内径)程度で、向きは北西(尾根方向)に向いています。板石と蓋石の僅かな隙間から中を見るも、何も無いようでした。