seiuchiさんのプロフィール
昨年の見学は夏場だったため、草が生え放題で墳丘の形がよく分からなかったので、再度冬場に行ってみました。墳丘の段差が鮮明に確認出来たので写真に撮ってみました。
吉備中山の尾根のハイキングコースを北から探訪していると、中山茶臼山古墳の東側に辿り着き、山道から墳丘を見る事が出来たので写真を撮ってみました。昨年行った時は、見る事が出来ないと思っていたので、墳丘を見た時は少し驚きました。後円部は高く、段差が有る様に見えます。前方部は緩やかで、しなやかな感じがします。
teru350jpさん お疲れ様です。古墳の位置は、もう少し尾根先端だったかもしれません。(#^.^#)
墓苑に駐車し、県道を上がって行くと道下に古墳が有りました。墳丘は流出し、石材が露出しています。石室は瀬戸内海が見える方向に開口しています。石材は自然石をそのまま使用している感じです。石と石の間が大きく開いています。造った時は間に石を詰め込んで、形を整えたんでしょうか。すぐ近くにも大きな自然石が露出しています。こんな石を掘り出して、石積みをしたんだろうかと想像してみました。(#^.^#)
浅口市と倉敷市を分岐する山頂の尾根道に、箱式石棺の側石が2枚露出しています。尾根道はハイキングコースになっている様ですが、標識類は全く無く、古墳に興味の無い方は、足元に有ってもほとんど分からないと思います。側石は2枚平行に露出しています。幅は35㎝程度です。南北に向いていて、南は瀬戸内海、北は浅口市の里の方向を向いていて、展望の良い所です。
2号墳 集落の中道を歩いていると、作業されていたお年寄りが居られたので聞くと、家の庭に有ると教えてもらう。聞いた人が偶然そのお家の方だった。案内してくださるのでついて行くと、石垣に石室が開口していた。天井石は1石で、石室内は黒っぽい。この中でゴミを焼いていたと教えてもらい、情報の話は本当だったと納得する。石垣の上斜面は綺麗に石が張られていて、なんでも草が生い茂るので、1年前に石を敷き詰めたと話される。 1号墳 2号墳から30mほどの畑の脇に石材が露出していた。天井石は3列載っているが、中央部は屋根の様に抱合せ式に置いている様に見える。開口方向や、石室サイズが資料と少し違う様で、後世で積み直しされたのかなぁと思ったり。(#^.^#) 民家南側の山裾には古い石垣が有り、(昔は屋敷か小城?)いつ頃の年代か分からない陶器片が見られると連れて行って見せてくれたり、戦国時代、この土地に移り住んだ話やら、石碑やら見せてもらい、楽しい時間が過ごせた。(^.^)
1号墳 八幡神社から裏山の斜面を登って行くと、墳丘が有ります。墳丘は変形して細長に見えます。周溝が有るとされるが良く分からず。奥壁は2段積みで、下段は埋もれて一部が覗くが、石室の幅からすると、そんなには埋もれていない感じ。上段は縦長の石材です。石室は、高さに比べて幅が狭く感じます。羨道側は破壊され、石材が散在しています。 2号墳 1号墳から北西側を見ると石材が見えています。天井石3石が載り、1石は石室前に崩落している。石室の入り口に木が生えていて、やっと入れるスペースです。中は埋もれ気味で、奥壁は鏡石に付け足しです。付け足し部の細長の石材は、負荷が掛ったのか、断裂している様に見えます。右側壁の入り側部は、一部押し出され崩落の予感です。
民家裏の田圃の畦を歩きながら探していると、民家の敷地に天井石らしき石が、斜めに落下しているのが目に入る。法面にも石が見えるので、これかなぁと覗きこむが、石室が開口していない。何気なしに前方を見ると、畦の段差の出っ張りにそれらしい穴の様なものが見える。まさかと思ったが、よく見ると石室の入り口だった。これじゃ夏場は草が生い茂ってほぼ分からないのではと思った。 枯れた草の蔓を広げると、高さ35㎝、幅90㎝ほどの入口です。入口に頭を突っ込んで、入ろうかと思案していたところ、下の民家の人が軽トラで帰ってこられる。挨拶をすると、中を掘ってみなさるかと言われるので、思わず苦笑です。(#^.^#) 訪れる人も少ないらしく、古墳に詳しい人が2年ぐらい前に見学に来ていたと話されていた。 石室は埋もれ気味です。天井石が割れて垂れ下がっているところも見受けられます。
開墾地より小さなヒノキ林に入ると、すぐ低い墳丘が目に入ります。墳丘周りを見渡すも、現在はこの墳丘と墳頂に有る盗掘の跡しか痕跡は残っていない様です。
1号墳 民家裏に大きな椿の木が生えている場所が有ります。脇には天井石らしき石上に宝篋印塔が建てられています。天井石の下に僅かな隙間が見えるが、規模は窺う事は出来ず。墳丘の面影も全く分からなくなっています。 2号墳 1号墳から山を登ると、すぐ開けた尾根上に石材を集積した場所が有り、小さな社が祀られています。墳丘は全く無くなっています。
民家脇を上がるとすぐ裏に有ります。南に開口する石室も、祠が祀られる形に改造されています。(#^.^#) 石材はこの地区の古墳に多く使われている礫岩です。古墳後方に同名家の立派なお墓が!。(偶然でしょうか)
1号墳 尾根脇の道を行くと、尾根上にみかん園が有り、そこから笹藪に入るとすぐ雑木の中に墳丘が見えます。(ほぼ尾根先端)南西方向に小さく開口していますが、なんとか入れます。右片袖式で、天井石は3枚載っています。さらに奥側の開口部から覗くと、大きな石が平面をこちらに向けているので、一瞬奥壁と思いましたが、下側に30㎝ほどの隙間が有るので覗きこむと、80㎝ほど奥に奥壁が見えます。どうやら盗掘のために天井石を立てた様です。この天井石を元に戻してもまだ足りないので、どこかに転がしていないか探してみると、1.8m×1.2mほどの長石が墳丘裾下に有ったので、これかなぁと想像してみました。(#^.^#) 2号墳 小さな池の脇の竹林に有ります。南西に開口し、天井石は2石残っています。奥壁は2段で面白い載せ方をしています。
小さな池の土手を進むと、猪の柵が張られた向こう側に石が見えたので古墳と分かりました。丁度柵の扉も古墳前に有るので、針金を解いて入ります。南に開口する横穴式石室も、天井石は崩落状態で、石室は埋もれています。石室下方にも天井石らしき石材が見えます。
見学は2号墳⇒5号墳⇒1号墳⇒3号墳⇒4号墳⇒7号墳⇒6号墳の順番で見学する。 日笠川を渡って集落の中道を進みながらそれらしい場所から山裾を目指すが分からず。畑で作業していた奥さんに聞くと、家裏に有ると言う事で、連れって行ってくれる。そして、すぐ脇にも有ると説明してくれる。位置からすると2号墳と5号墳の様です。 2号墳 民家裏に墳丘が有り、中に入ると綺麗な石室です。天井石は7石で、奥壁の石材は端正に積まれています。羨道の右側壁は残るが、左側は無くなっている様です。 5号墳 2号墳脇の小道を挟んで、東側に接して墳丘が有ります。天井石は5石です。この石室も石積みが綺麗です。 1号墳 2・5号墳の後方には、猪の柵が張り巡らされいるため、扉を探して尾根を登ります。尾根上に墳丘が有り、西に開口しています。天井石は3石が載っています。その他、前面に崩落している天井石が3枚有ります。羨道側は埋もれていますが、この古墳も綺麗な石積みです。墳丘裾には石が配列されている様に見えます。 3号墳 1号墳から集落の方に下ると、民家裏から30mほどの位置に墳丘が有ります。南北方向に大きな掘り出し跡が有ります。西側の墳丘裾は山道で削られています。 4号墳 3号墳から昔の山道を西側に進むと、すぐ立派な墳丘が有ります。石室入り口の方に回れ込むと、すぐ前に民家です。石室内は立って歩ける高さです。奥壁は縦長の2枚の石材に付け足しで、綺麗な石積みです。天井石は5枚+1枚(へっ込んでいる)です。後から考えると、これが中高式天井らしいです。 7号墳 4号墳から北へ50mほど進むと、墳丘が有ります。羨道側は大きく破壊され、埋まっています。天井石は3石、奥壁は1枚ものです。 6号墳 この古墳だけ離れた位置にあるため、車で行きます。閑谷学園の上側に有る墓苑の駐車場から、北西30mの笹藪の中に有ります。近くに有っても笹藪に覆われていると、墳丘が分かりにくいです。(前日に来たが分からず)奥壁は縦長の石材に付け足しです。石室前面から羨道部は埋もれています。
国道から分岐する道脇に駐車スペースが有り、そこから斜面を登るとすぐ雑木の中に墳丘が見えます。石室が吉井川の方向に開口しています。石室入り口の天井石が斜めに傾いています。羨道入口の幅は、40㎝しかなく、体を斜めにしてやっと入れます。中に入ると、天井石の入り側から2枚目までが斜めになって崩落寸前で、少し怖い感じがします。中は天井石の傾きで、押し出された塊が見られ、その上に小さな祠が祀られています。天井石は5石で、奥壁はほぼ1枚ものです。近い将来、石室が埋まる運命になりそうです。
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昨年の見学は夏場だったため、草が生え放題で墳丘の形がよく分からなかったので、再度冬場に行ってみました。墳丘の段差が鮮明に確認出来たので写真に撮ってみました。
吉備中山の尾根のハイキングコースを北から探訪していると、中山茶臼山古墳の東側に辿り着き、山道から墳丘を見る事が出来たので写真を撮ってみました。昨年行った時は、見る事が出来ないと思っていたので、墳丘を見た時は少し驚きました。後円部は高く、段差が有る様に見えます。前方部は緩やかで、しなやかな感じがします。
teru350jpさん お疲れ様です。古墳の位置は、もう少し尾根先端だったかもしれません。(#^.^#)
墓苑に駐車し、県道を上がって行くと道下に古墳が有りました。墳丘は流出し、石材が露出しています。石室は瀬戸内海が見える方向に開口しています。石材は自然石をそのまま使用している感じです。石と石の間が大きく開いています。造った時は間に石を詰め込んで、形を整えたんでしょうか。すぐ近くにも大きな自然石が露出しています。こんな石を掘り出して、石積みをしたんだろうかと想像してみました。(#^.^#)
浅口市と倉敷市を分岐する山頂の尾根道に、箱式石棺の側石が2枚露出しています。尾根道はハイキングコースになっている様ですが、標識類は全く無く、古墳に興味の無い方は、足元に有ってもほとんど分からないと思います。側石は2枚平行に露出しています。幅は35㎝程度です。南北に向いていて、南は瀬戸内海、北は浅口市の里の方向を向いていて、展望の良い所です。
2号墳
集落の中道を歩いていると、作業されていたお年寄りが居られたので聞くと、家の庭に有ると教えてもらう。聞いた人が偶然そのお家の方だった。案内してくださるのでついて行くと、石垣に石室が開口していた。天井石は1石で、石室内は黒っぽい。この中でゴミを焼いていたと教えてもらい、情報の話は本当だったと納得する。石垣の上斜面は綺麗に石が張られていて、なんでも草が生い茂るので、1年前に石を敷き詰めたと話される。
1号墳
2号墳から30mほどの畑の脇に石材が露出していた。天井石は3列載っているが、中央部は屋根の様に抱合せ式に置いている様に見える。開口方向や、石室サイズが資料と少し違う様で、後世で積み直しされたのかなぁと思ったり。(#^.^#)
民家南側の山裾には古い石垣が有り、(昔は屋敷か小城?)いつ頃の年代か分からない陶器片が見られると連れて行って見せてくれたり、戦国時代、この土地に移り住んだ話やら、石碑やら見せてもらい、楽しい時間が過ごせた。(^.^)
1号墳
八幡神社から裏山の斜面を登って行くと、墳丘が有ります。墳丘は変形して細長に見えます。周溝が有るとされるが良く分からず。奥壁は2段積みで、下段は埋もれて一部が覗くが、石室の幅からすると、そんなには埋もれていない感じ。上段は縦長の石材です。石室は、高さに比べて幅が狭く感じます。羨道側は破壊され、石材が散在しています。
2号墳
1号墳から北西側を見ると石材が見えています。天井石3石が載り、1石は石室前に崩落している。石室の入り口に木が生えていて、やっと入れるスペースです。中は埋もれ気味で、奥壁は鏡石に付け足しです。付け足し部の細長の石材は、負荷が掛ったのか、断裂している様に見えます。右側壁の入り側部は、一部押し出され崩落の予感です。
民家裏の田圃の畦を歩きながら探していると、民家の敷地に天井石らしき石が、斜めに落下しているのが目に入る。法面にも石が見えるので、これかなぁと覗きこむが、石室が開口していない。何気なしに前方を見ると、畦の段差の出っ張りにそれらしい穴の様なものが見える。まさかと思ったが、よく見ると石室の入り口だった。これじゃ夏場は草が生い茂ってほぼ分からないのではと思った。
枯れた草の蔓を広げると、高さ35㎝、幅90㎝ほどの入口です。入口に頭を突っ込んで、入ろうかと思案していたところ、下の民家の人が軽トラで帰ってこられる。挨拶をすると、中を掘ってみなさるかと言われるので、思わず苦笑です。(#^.^#)
訪れる人も少ないらしく、古墳に詳しい人が2年ぐらい前に見学に来ていたと話されていた。
石室は埋もれ気味です。天井石が割れて垂れ下がっているところも見受けられます。
開墾地より小さなヒノキ林に入ると、すぐ低い墳丘が目に入ります。墳丘周りを見渡すも、現在はこの墳丘と墳頂に有る盗掘の跡しか痕跡は残っていない様です。
1号墳
民家裏に大きな椿の木が生えている場所が有ります。脇には天井石らしき石上に宝篋印塔が建てられています。天井石の下に僅かな隙間が見えるが、規模は窺う事は出来ず。墳丘の面影も全く分からなくなっています。
2号墳
1号墳から山を登ると、すぐ開けた尾根上に石材を集積した場所が有り、小さな社が祀られています。墳丘は全く無くなっています。
民家脇を上がるとすぐ裏に有ります。南に開口する石室も、祠が祀られる形に改造されています。(#^.^#)
石材はこの地区の古墳に多く使われている礫岩です。古墳後方に同名家の立派なお墓が!。(偶然でしょうか)
1号墳
尾根脇の道を行くと、尾根上にみかん園が有り、そこから笹藪に入るとすぐ雑木の中に墳丘が見えます。(ほぼ尾根先端)南西方向に小さく開口していますが、なんとか入れます。右片袖式で、天井石は3枚載っています。さらに奥側の開口部から覗くと、大きな石が平面をこちらに向けているので、一瞬奥壁と思いましたが、下側に30㎝ほどの隙間が有るので覗きこむと、80㎝ほど奥に奥壁が見えます。どうやら盗掘のために天井石を立てた様です。この天井石を元に戻してもまだ足りないので、どこかに転がしていないか探してみると、1.8m×1.2mほどの長石が墳丘裾下に有ったので、これかなぁと想像してみました。(#^.^#)
2号墳
小さな池の脇の竹林に有ります。南西に開口し、天井石は2石残っています。奥壁は2段で面白い載せ方をしています。
小さな池の土手を進むと、猪の柵が張られた向こう側に石が見えたので古墳と分かりました。丁度柵の扉も古墳前に有るので、針金を解いて入ります。南に開口する横穴式石室も、天井石は崩落状態で、石室は埋もれています。石室下方にも天井石らしき石材が見えます。
見学は2号墳⇒5号墳⇒1号墳⇒3号墳⇒4号墳⇒7号墳⇒6号墳の順番で見学する。
日笠川を渡って集落の中道を進みながらそれらしい場所から山裾を目指すが分からず。畑で作業していた奥さんに聞くと、家裏に有ると言う事で、連れって行ってくれる。そして、すぐ脇にも有ると説明してくれる。位置からすると2号墳と5号墳の様です。
2号墳
民家裏に墳丘が有り、中に入ると綺麗な石室です。天井石は7石で、奥壁の石材は端正に積まれています。羨道の右側壁は残るが、左側は無くなっている様です。
5号墳
2号墳脇の小道を挟んで、東側に接して墳丘が有ります。天井石は5石です。この石室も石積みが綺麗です。
1号墳
2・5号墳の後方には、猪の柵が張り巡らされいるため、扉を探して尾根を登ります。尾根上に墳丘が有り、西に開口しています。天井石は3石が載っています。その他、前面に崩落している天井石が3枚有ります。羨道側は埋もれていますが、この古墳も綺麗な石積みです。墳丘裾には石が配列されている様に見えます。
3号墳
1号墳から集落の方に下ると、民家裏から30mほどの位置に墳丘が有ります。南北方向に大きな掘り出し跡が有ります。西側の墳丘裾は山道で削られています。
4号墳
3号墳から昔の山道を西側に進むと、すぐ立派な墳丘が有ります。石室入り口の方に回れ込むと、すぐ前に民家です。石室内は立って歩ける高さです。奥壁は縦長の2枚の石材に付け足しで、綺麗な石積みです。天井石は5枚+1枚(へっ込んでいる)です。後から考えると、これが中高式天井らしいです。
7号墳
4号墳から北へ50mほど進むと、墳丘が有ります。羨道側は大きく破壊され、埋まっています。天井石は3石、奥壁は1枚ものです。
6号墳
この古墳だけ離れた位置にあるため、車で行きます。閑谷学園の上側に有る墓苑の駐車場から、北西30mの笹藪の中に有ります。近くに有っても笹藪に覆われていると、墳丘が分かりにくいです。(前日に来たが分からず)奥壁は縦長の石材に付け足しです。石室前面から羨道部は埋もれています。
国道から分岐する道脇に駐車スペースが有り、そこから斜面を登るとすぐ雑木の中に墳丘が見えます。石室が吉井川の方向に開口しています。石室入り口の天井石が斜めに傾いています。羨道入口の幅は、40㎝しかなく、体を斜めにしてやっと入れます。中に入ると、天井石の入り側から2枚目までが斜めになって崩落寸前で、少し怖い感じがします。中は天井石の傾きで、押し出された塊が見られ、その上に小さな祠が祀られています。天井石は5石で、奥壁はほぼ1枚ものです。近い将来、石室が埋まる運命になりそうです。