seiuchiさんのプロフィール
道側に奥壁の石材が縦長に2枚見えますが、厚みが今まで見た事もない様な薄い物でした。天井部は、天井石2枚とまぐさ石が載っています。大きい方の天井石は、長さ3m、幅2.2m、厚さ0.4m程度の石です。側壁の石材を見ると、玄室側は平らですが、封土側は埋もれて見えなくなる分、加工無しの状態が見えるので面白いです。
道路脇の畑と竹林の間に、円墳形状の墳丘が有ります。羨道は道路側で、埋もれていますが、羨道部の天井石が1石分外されているので、そこから入室出来ます。天井石は5石で、奥壁は3段積みです。鏡石の左コーナー部に、石が付着して見える部分の接合面は、完全に合わさっていて、割れた様にしか見えません。左側壁は3段積みと調整石です。右側壁は3~4段積みと調整石で造られています。玄室は大きく綺麗です。いい状態で残っています。周溝の存在はよく分かりません。
山道を上がって行くと、道脇に供養塔が見えたので古墳と分かります。古墳も見学しやすい場所にあります。墳丘北側は削られているようです。石室口の上には、大きな天井石が載せられています。中は四角の石室です。奥壁側の天井石は片方が外れかけで、崩落の予感です。側壁は大きめの石材を使用し、隙間には小石を綺麗に詰め込んで、作者の丁寧さを感じます(#^.^#)。
下池の土手脇にお墓が有り、そこから西の山に入るとすぐ古墳が有ります。墳丘南側の裾には大きな天井石が崩落しています。墳丘には、天井石のずれにより、小さな穴が開口しています。そこから入室できます。奥壁は細長の石材を積み重ねています。奥壁側の幅は1.7m、高さ1.3m程度です。床面には何かを掘り出した跡が見られます。
中山茶臼山古墳脇の山道を上がって行くと、石舟古墳の案内標識が有り、そこから谷の方に下りて行くと、石舟古墳群まで100mの案内が有りました。GISの遺跡地図と位置が違うと思いながら進むと古墳に到着しました。 1号墳 石舟古墳群の標識と説明文が有り、脇に天井石が3石露出した古墳が有ります。1号墳のようです。石室は南方向ですが、入口はほぼ埋まっています。天井石の隙間から頭を突っ込んで中を覗くと、石室を見る事が出来ます。石室は埋もれ気味で、奥壁は1枚ものです。石室現存長さ4m、幅1m、高さ0.7m程度です。 2号墳 1号墳のすぐ東脇に墳丘が有ります。天井石3石が露出し、石室がほぼ南に開口しています。現存石室長さ3.5m、幅1m、高さ0.9mぐらいでしょうか。奥壁は2段で、下側の露出具合では、50㎝ぐらい埋まっているんだろうと考えてみました(#^.^#)。入口付近に、袖石みたいな石が飛び出していますがよく分からず。 3号墳 2号墳の南東(下方)20mに墳丘が有ります。南に開口していますが、石室は埋もれ気味です。天井石は3石見えますが、1石は前面に崩落しています。石室の幅は1m程度で、奥壁は2段ですが、四角の石材が無かったのか、斜めに合体させた奥壁が面白いです。 4号墳 説明文では、もう1基有る様なので付近を歩いてみましたが、3号墳の東50mに気になる石が有ったが、定かでは有りません。
1号墳 県道から丘陵の小さな山道を登ると、山道脇に石材が露出した古墳が有りました。1号墳のようです。天井石は2石載っています。現存の石室長さは5m以上、幅1.2m、高さ0.3m程度です。石室入り口の隙間が僅かに開いていて、側壁の一部を見る事が出来ます。 2号墳 1号墳から西側に30mほど山道を歩くと、道の下脇に墳丘が有ります。封土は無くなり、天井石が3石露出しています。石室は南に開口しているも、僅かな隙間です。墳丘南側は、開墾で削られている様に見えます。天井石に僅かな隙間が有るので入ってみると、奥壁を見る事が出来ました。反対側は埋もれています。現存の石室長さは5m以上、幅1.2m、高さ0.6m程度です。 3号墳 2号墳から西に30mほど山道を歩くと、道上に接して有ります。天井石4石露出するも、石室は埋もれています。
1号墳 集落の平坦な土地に有ります。墳丘は全く無く、細長の石材が5石ほど集積されています。石材の上には小さな社と祠が祀られています。 2号墳 南西に延びる尾根頂上に、円墳と分かる墳丘が良い状態で残っています。墳頂には盗掘の跡が残っています。 3号墳 2号墳の西北側に接して円墳形状の3号墳が有ります。更に3号墳北脇に低い盛り上がりが存在します。これは古墳かどうか分からないが、気になる所です。 4号墳(三成古墳) 国指定の35mの前方後方墳
1号墳 鴻の池東側の少し出っ張った岸の水際に、古墳らしき墳丘が存在します。盗掘坑らしい凹みも無いようです。 3号墳 池の土手東側の尾根先端に、古墳の可能性の様なものが有るようですが、現地は古墳と分かる様な墳丘は見られません。ただ形の崩れた、らしきものは存在しますが、定かではありません。 4号墳 3号墳が有るらしい場所から、南西20m付近の山裾に円墳が存在します。
中山茶臼山古墳脇を上がって行くと、山頂付近の山道脇に、ダイボーの足跡(大きなお坊さんの足跡)と言われる窪地が有ります。山頂付近に有りながら、池の跡とみられるようです。なんでもお祭りの為に掘られたようです。 その窪地の北側30mに墳丘は無くなり、石材が露出した八畳岩古墳が有りました。南に開口していたようですが、現在は埋もれ、側壁、天井石、奥壁の一部が見られます。石室幅は1mほどのようです。 その他、西側脇にも気になる石の配列が見えます。(気のせいか(#^.^#)) 付近には、八畳岩磐座や鏡磐などの巨石もありました。
吉備津神社の南斜面に有ります。古墳とすぐ分かりますが、削られて歪な墳丘です。天井石が墳丘裾に1石落下しています。羨道側は無くなり、側壁断面側が墳丘に露出しています。石室高さは、1mほどで、しゃがまないと入れません。側壁の石材は加工されず、そのまま使われている感じです。天井石入り側の1枚を支えているのは小さな石で、よくも長年支えてきたもんだと感心します。床面には、丸い小石が見られます。墳頂には巨木が1本生え、太い根が墳丘下まで伸ばしている事から、百年単位の樹齢ではないかと思います。 墳頂には、宝塔が建てられいます。脇の説明板には吉備津神社の古図の記録では、如法経塔と伝えられていると書かれているが、古墳の別名は、如宝経塔・・・と現代の読み方に変換されています。
集落から谷道を登って行きます。倒木が行く手を阻みますが、雑草が無いので歩きやすいです。 尾根に辿り着くと、後円部の高い墳丘が目に入ります。後円部の墳頂から南の裾に掛けて大きな掘り出し跡が残っています。石室をすっぽり掘り出した様に見えます。たぶん竪穴式石室だったと思われますが、石材が全く見渡りません。掘り出した後、有効に利用したのでしょうか(#^.^#)。前方部にも盗掘した様な掘り出し跡が残っています。
尾根先端に有る若宮八幡宮に行くと、マラソンの有森裕子さんのオリンピック銀メダル記念植樹の石碑が目に入る。そう言えば有森さんは、岡山県出身なので、この集落で生まれ育ったのかなぁと思いをはせる。 八幡宮の東側の開けた急こう配の尾根道を真直ぐ登って行くと、山頂の雑木の中に前方後円墳が有りました。墳丘はよく残っていて、後円部は高く盛上っています。前方部の裾もよく分かります。後円部墳頂は平坦ですが、掘り出した形跡が見えます。葺き石が存在するとの事ですが、墳丘には見渡らず、前方部裾周辺に20㎝ぐらいの小石の集合が見えました。 墳頂からは、下方の旭川周辺の里や、南の岡山平野が見渡される景観の良いところでした。
尾上八幡宮境内西側の天神社脇に説明板が有るので読んでみると、社の台石に石棺の底石を転用していると書かれている。見てみると、なるほど石棺の底石のようです。かなり大きい物です。ただこの地の吉備中山に有った横穴式石室の5個の内の一つの石棺だったらしく、どこの古墳の物か書かれていないので、その点が気になります。 同じ境内の東側には佐瑠女神社が有り、天宇受売命をお祀りしている。なんでも、天照大神が天岩戸に隠れた時、岩戸を開けて連れだした神様という。 ※本来は、八幡宮の裏に有る八幡宮裏山古墳(竹端古墳)を探しに来たのですが、後方の尾根は開墾され、平地の畑になっていた。畑で作業されていたお年寄りに聞くと、ここの畑を所有しているが、古墳が有るとは知らないと言われていた。かなり前に消滅した様です。
中山茶臼山古墳の東脇の山道を上がって行くと、すぐ古墳の案内標識が有ります。谷の山道を下りて300mほどで、山道脇の古墳に到着します。 径15m、高さ2mの円墳らしく、無袖式の横穴式石室が南に開口しています。中に入ると、石棺が目に入ります。石棺のサイズは、幅1m、長さ2mで、中は満水です。封土は余り無く、最近雨も降らないのに、天井石から僅かですが、数滴の水が落下しているのが不思議です。古墳位置が谷側に有る事で、山から水が僅かに伝ってくる水脈が有るのだろうかと、考えてみました(#^.^#)。 天井石は4石で、奥壁は2段積みです。奥にはなぜだか小石が積まれています。
子供の頃、連れて行ってもらった記憶が微かに有ったが、再度おびただしい鼻ぐろの異様な集積山を見て記憶が蘇った。この石室だけは入る気にならず、写真だけでやめてしまった(#^.^#)。 ここから吉備中山のハイキングコースを登って行くと、近くに霊水場や藤原成親の遺跡が有ったので見学していく。
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道側に奥壁の石材が縦長に2枚見えますが、厚みが今まで見た事もない様な薄い物でした。天井部は、天井石2枚とまぐさ石が載っています。大きい方の天井石は、長さ3m、幅2.2m、厚さ0.4m程度の石です。側壁の石材を見ると、玄室側は平らですが、封土側は埋もれて見えなくなる分、加工無しの状態が見えるので面白いです。
道路脇の畑と竹林の間に、円墳形状の墳丘が有ります。羨道は道路側で、埋もれていますが、羨道部の天井石が1石分外されているので、そこから入室出来ます。天井石は5石で、奥壁は3段積みです。鏡石の左コーナー部に、石が付着して見える部分の接合面は、完全に合わさっていて、割れた様にしか見えません。左側壁は3段積みと調整石です。右側壁は3~4段積みと調整石で造られています。玄室は大きく綺麗です。いい状態で残っています。周溝の存在はよく分かりません。
山道を上がって行くと、道脇に供養塔が見えたので古墳と分かります。古墳も見学しやすい場所にあります。墳丘北側は削られているようです。石室口の上には、大きな天井石が載せられています。中は四角の石室です。奥壁側の天井石は片方が外れかけで、崩落の予感です。側壁は大きめの石材を使用し、隙間には小石を綺麗に詰め込んで、作者の丁寧さを感じます(#^.^#)。
下池の土手脇にお墓が有り、そこから西の山に入るとすぐ古墳が有ります。墳丘南側の裾には大きな天井石が崩落しています。墳丘には、天井石のずれにより、小さな穴が開口しています。そこから入室できます。奥壁は細長の石材を積み重ねています。奥壁側の幅は1.7m、高さ1.3m程度です。床面には何かを掘り出した跡が見られます。
中山茶臼山古墳脇の山道を上がって行くと、石舟古墳の案内標識が有り、そこから谷の方に下りて行くと、石舟古墳群まで100mの案内が有りました。GISの遺跡地図と位置が違うと思いながら進むと古墳に到着しました。
1号墳
石舟古墳群の標識と説明文が有り、脇に天井石が3石露出した古墳が有ります。1号墳のようです。石室は南方向ですが、入口はほぼ埋まっています。天井石の隙間から頭を突っ込んで中を覗くと、石室を見る事が出来ます。石室は埋もれ気味で、奥壁は1枚ものです。石室現存長さ4m、幅1m、高さ0.7m程度です。
2号墳
1号墳のすぐ東脇に墳丘が有ります。天井石3石が露出し、石室がほぼ南に開口しています。現存石室長さ3.5m、幅1m、高さ0.9mぐらいでしょうか。奥壁は2段で、下側の露出具合では、50㎝ぐらい埋まっているんだろうと考えてみました(#^.^#)。入口付近に、袖石みたいな石が飛び出していますがよく分からず。
3号墳
2号墳の南東(下方)20mに墳丘が有ります。南に開口していますが、石室は埋もれ気味です。天井石は3石見えますが、1石は前面に崩落しています。石室の幅は1m程度で、奥壁は2段ですが、四角の石材が無かったのか、斜めに合体させた奥壁が面白いです。
4号墳
説明文では、もう1基有る様なので付近を歩いてみましたが、3号墳の東50mに気になる石が有ったが、定かでは有りません。
1号墳
県道から丘陵の小さな山道を登ると、山道脇に石材が露出した古墳が有りました。1号墳のようです。天井石は2石載っています。現存の石室長さは5m以上、幅1.2m、高さ0.3m程度です。石室入り口の隙間が僅かに開いていて、側壁の一部を見る事が出来ます。
2号墳
1号墳から西側に30mほど山道を歩くと、道の下脇に墳丘が有ります。封土は無くなり、天井石が3石露出しています。石室は南に開口しているも、僅かな隙間です。墳丘南側は、開墾で削られている様に見えます。天井石に僅かな隙間が有るので入ってみると、奥壁を見る事が出来ました。反対側は埋もれています。現存の石室長さは5m以上、幅1.2m、高さ0.6m程度です。
3号墳
2号墳から西に30mほど山道を歩くと、道上に接して有ります。天井石4石露出するも、石室は埋もれています。
1号墳
集落の平坦な土地に有ります。墳丘は全く無く、細長の石材が5石ほど集積されています。石材の上には小さな社と祠が祀られています。
2号墳
南西に延びる尾根頂上に、円墳と分かる墳丘が良い状態で残っています。墳頂には盗掘の跡が残っています。
3号墳
2号墳の西北側に接して円墳形状の3号墳が有ります。更に3号墳北脇に低い盛り上がりが存在します。これは古墳かどうか分からないが、気になる所です。
4号墳(三成古墳)
国指定の35mの前方後方墳
1号墳
鴻の池東側の少し出っ張った岸の水際に、古墳らしき墳丘が存在します。盗掘坑らしい凹みも無いようです。
3号墳
池の土手東側の尾根先端に、古墳の可能性の様なものが有るようですが、現地は古墳と分かる様な墳丘は見られません。ただ形の崩れた、らしきものは存在しますが、定かではありません。
4号墳
3号墳が有るらしい場所から、南西20m付近の山裾に円墳が存在します。
中山茶臼山古墳脇を上がって行くと、山頂付近の山道脇に、ダイボーの足跡(大きなお坊さんの足跡)と言われる窪地が有ります。山頂付近に有りながら、池の跡とみられるようです。なんでもお祭りの為に掘られたようです。
その窪地の北側30mに墳丘は無くなり、石材が露出した八畳岩古墳が有りました。南に開口していたようですが、現在は埋もれ、側壁、天井石、奥壁の一部が見られます。石室幅は1mほどのようです。
その他、西側脇にも気になる石の配列が見えます。(気のせいか(#^.^#))
付近には、八畳岩磐座や鏡磐などの巨石もありました。
吉備津神社の南斜面に有ります。古墳とすぐ分かりますが、削られて歪な墳丘です。天井石が墳丘裾に1石落下しています。羨道側は無くなり、側壁断面側が墳丘に露出しています。石室高さは、1mほどで、しゃがまないと入れません。側壁の石材は加工されず、そのまま使われている感じです。天井石入り側の1枚を支えているのは小さな石で、よくも長年支えてきたもんだと感心します。床面には、丸い小石が見られます。墳頂には巨木が1本生え、太い根が墳丘下まで伸ばしている事から、百年単位の樹齢ではないかと思います。
墳頂には、宝塔が建てられいます。脇の説明板には吉備津神社の古図の記録では、如法経塔と伝えられていると書かれているが、古墳の別名は、如宝経塔・・・と現代の読み方に変換されています。
集落から谷道を登って行きます。倒木が行く手を阻みますが、雑草が無いので歩きやすいです。
尾根に辿り着くと、後円部の高い墳丘が目に入ります。後円部の墳頂から南の裾に掛けて大きな掘り出し跡が残っています。石室をすっぽり掘り出した様に見えます。たぶん竪穴式石室だったと思われますが、石材が全く見渡りません。掘り出した後、有効に利用したのでしょうか(#^.^#)。前方部にも盗掘した様な掘り出し跡が残っています。
尾根先端に有る若宮八幡宮に行くと、マラソンの有森裕子さんのオリンピック銀メダル記念植樹の石碑が目に入る。そう言えば有森さんは、岡山県出身なので、この集落で生まれ育ったのかなぁと思いをはせる。
八幡宮の東側の開けた急こう配の尾根道を真直ぐ登って行くと、山頂の雑木の中に前方後円墳が有りました。墳丘はよく残っていて、後円部は高く盛上っています。前方部の裾もよく分かります。後円部墳頂は平坦ですが、掘り出した形跡が見えます。葺き石が存在するとの事ですが、墳丘には見渡らず、前方部裾周辺に20㎝ぐらいの小石の集合が見えました。
墳頂からは、下方の旭川周辺の里や、南の岡山平野が見渡される景観の良いところでした。
尾上八幡宮境内西側の天神社脇に説明板が有るので読んでみると、社の台石に石棺の底石を転用していると書かれている。見てみると、なるほど石棺の底石のようです。かなり大きい物です。ただこの地の吉備中山に有った横穴式石室の5個の内の一つの石棺だったらしく、どこの古墳の物か書かれていないので、その点が気になります。
同じ境内の東側には佐瑠女神社が有り、天宇受売命をお祀りしている。なんでも、天照大神が天岩戸に隠れた時、岩戸を開けて連れだした神様という。
※本来は、八幡宮の裏に有る八幡宮裏山古墳(竹端古墳)を探しに来たのですが、後方の尾根は開墾され、平地の畑になっていた。畑で作業されていたお年寄りに聞くと、ここの畑を所有しているが、古墳が有るとは知らないと言われていた。かなり前に消滅した様です。
中山茶臼山古墳の東脇の山道を上がって行くと、すぐ古墳の案内標識が有ります。谷の山道を下りて300mほどで、山道脇の古墳に到着します。
径15m、高さ2mの円墳らしく、無袖式の横穴式石室が南に開口しています。中に入ると、石棺が目に入ります。石棺のサイズは、幅1m、長さ2mで、中は満水です。封土は余り無く、最近雨も降らないのに、天井石から僅かですが、数滴の水が落下しているのが不思議です。古墳位置が谷側に有る事で、山から水が僅かに伝ってくる水脈が有るのだろうかと、考えてみました(#^.^#)。
天井石は4石で、奥壁は2段積みです。奥にはなぜだか小石が積まれています。
子供の頃、連れて行ってもらった記憶が微かに有ったが、再度おびただしい鼻ぐろの異様な集積山を見て記憶が蘇った。この石室だけは入る気にならず、写真だけでやめてしまった(#^.^#)。
ここから吉備中山のハイキングコースを登って行くと、近くに霊水場や藤原成親の遺跡が有ったので見学していく。