操山古墳群
データ
名前 | 操山古墳群 |
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よみがな | みさおやまこふんぐん |
形 | 群集墳 |
都道府県 | 岡山 ( マップ | 一覧 ) |
所在地 | 岡山県岡山市中区沢田 |
駐車スペース | あり(無料) |
交通 - 徒歩 | 岡山駅からバス |
交通 - 車 | -- |
周辺情報 | |
タグ | 円墳方墳前方後円墳古墳群群集墳石室露出横穴式石室 |
注意事項 | -- |
紹介文 |
岡山市の東、操山一帯に4世紀から7世紀にかけて造営された古墳群で、120基以上の古墳が確認されている。 |
posted by yuki1949
updated 2024年06月13日
updated 2024年06月13日
操山山頂より東150mに築かれている円墳で、築造は6世紀後半の古墳時代後期と推定されており、横穴式石室をもった古墳で全長8.2m・幅1.9m・高さ1.9mの規模をもち、操山北山塊に住んでいた有力者の家族墓と考えられている。
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2.旗振台古墳
築造は5世紀後半と推定され、当時の吉備国の一部を治めた豪族の有力な構成員が葬られたと考えられている。
古代の瀬戸内海沿岸航路を南に望む尾根の頂部に築かれており、一辺が27m、高さ4mの方墳であり、竪穴式石室とその両脇に粘土槨がある。
3.沢田後山古墳
旗振台古墳から北東約300mの操山と金蔵山を結ぶ尾根に南向きに築かれている。
保存は良好であり、横穴式古墳の特徴として入口が極端に低く0.8mで玄室長5.8m・玄幅1.6m横穴式としては中規模である。
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4.八畳岩古墳
操山山塊の主稜線上に築かれている横穴式石室墳である。墳丘の大部分が流出しているが、本来は直径15m・高さ3m程の円墳であったと推定されている。遺骸を葬った石室は左袖形で全長9mあり中型規模といえる。築造は6世紀後半で、山塊の北に住んでいた有力者の家族墓と考えられ、石室の天井石に巨大な石材を使用していることから古墳の呼称となった。
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5.二股(ふたまた)古墳
築造時期は、6世紀後葉から7世紀初頭で、当時の有力家族(大家族)のものと推定されている。山塊谷奥の山腹に横穴式石室の古墳で遺骸を安置する玄室が二室に別れていることから二股古墳と呼ばれており、墳丘は山寄せ造りで、直径10m・高さ3mの円墳であったと想定され、石室は左(主)室が長さ5m・幅1.2m、右(脇)室は長さ4.5m・幅1.2mになっている。
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古墳の内部
6.金蔵山古墳
金蔵山古墳は、岡山市沢田にある金蔵山の山頂全体が古墳を成しており、県下第4位の規模をもって、操山古墳群では最も大きく全長165mで、最も古く4世紀後半に築造された前方後円墳である。
墳形実測図
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7.石鉄山古墳
石鉄山(いしぐろやま)古墳は、円山招福稲荷から北に急な山道を約10分登った円山山頂に
岡山駅でレンタサイクルを借りての訪問となったが、バスで北または南からアクセスする方法と、南から路面電車「東山」で下車してアクセスする方法があるようだ。里山センタでガイドマップをもらい、旗振台、沢田裏山、八畳岩、二股の里山センタ付近の各古墳を見学予定である。まずは旗振台古墳であるが、自然休養林の入口からふれあいの辻を目指して行くと右側にガイドマップにない開口した石室が現れる。さらに先を目指して行くが、なかなか旗振台古墳に到着しない。ガイドブックに記載されていない山道が多く迷いながら旗振台古墳の道標を見つけやっと到着である。展望台のようになっていて標識がなければ古墳と気がつかないかも? 次の沢田裏山古墳は石室が開口しているが羨道が埋まっているようで玄室は見学できないようだ。しかし、この辺り一帯はあちこちに石室の石材のような石がゴロゴロしている。石室の石なのか、この石を使って石室にしたのか?八畳岩古墳は石室の石が露出していて、小型石舞台の趣である。この古墳の下にも開口したマップない石室がある。二股古墳は石室が二股になっているとのこと。この古墳の下にも開口した古墳が2基ほどあるようだ。