yuki1949さんのプロフィール
解説書「大和古墳群と柳本古墳群」が2024年1月に刊行されています。数回に渡り訪れた記憶がよみがえり懐かしく見いました。A4判、59ページのの冊子で、このあたりを訪問するなら、参考になると思います。入手は、天理市埋蔵文化財センターで、あらかじめ電話で残部状況を問合したほうが良いようです。TEL 0743-65-5720になるります。私は、郵送して頂きました。
出雲市駅でレンタサイクル(電動)を借りて訪問です。まずは、今市大念寺古墳の大きな石棺を見て、こちらの見学です。四隅突出型墳丘墓、本当に変わった形ですね。写真では見ているけど、こちらの地方独特の形、やはり見たくなります。2号から,3,4号と見て5号を見ると、なんと不整形な墳丘なのだ。大きく崩れた前方後円墳にも見える。四隅突出型墳丘墓から前方後円墳に移行する中間の古墳かも?などと思ったけれど、素人の浅はかな感想のようです。
最初に作られたようであるが、以後は規模は小さくなるようである。普通は小さいものから、だんだん大きくなると思えるが、チョット不思議。これよりも古い、小さな古墳があるのかも?
この古墳だけ復元されていて墳丘が葺石で覆われています。ずいぶん変わった形状をしていて、これが前方後円墳につながっていくのか? ロマン溢れる古墳です。
墳丘の中央が大きく凹んでいて、盗掘穴なのか? 墳頂から市街地が良く見える。
2つの前方部(造出)がある珍しい形らしいが、片方の方形は確認できたが、もう一方は良くわからなかった。墳丘からは樹木の間から下界が見える。これらの古墳も、下界から見せるための古墳なのか?
東北から四国はチョットと遠いのですが、念願かなって来訪できました。本当に尖った石が全体を覆っているようです。なぜ、尖った石を積んでいるのかと思っていたけれど、古墳の周りにたくさんある石を利用したようです。尖ったい石が覆う後円部や前方部は、初めてみるので異様な感じがします。
高松駅からループバスに乗車し峰山バス停で降車して、峰山公園まではハイキングがてら徒歩で向かいます。古墳は山頂付近点在しています。
これは凄い、石室も大きいが石棺があまり見たこともない位に大きい。大人の背の高さを超える位の高さがある。荒神谷遺跡も見たかったけれど、出雲大社の博物館で銅剣が見られたので、この古墳にして正解だった。古墳の石室は、墓地の一番奥にあり、石室の入口には扉があるが施錠されていないのでは入ることができる。
やっと来ました。これで、大仙陵古墳から始まる大型古墳ベスト100基訪問が完了しました。この古墳は10年前に訪れたけれど、探せなくて断念した古墳です。セイウチさんの書き込み通り工業団地の小川製作所の門の左手から、古墳へアクセスできました。後円部の墳頂は盗掘されたような穴があります。また、子供達の遊び場にもなっているようで、子供達が書いた絵看板が立っていて、うらにはウサギ山とありました。うっそうした森の中を想像したけれど、前方部の先には、子供の施設?のような建物ができていて、開発が進んでいるようです。
10年越しの再訪です。セイウチさんやsusumuさんの書き込みにある、尾上南(岡電バス)バス停で降車してのアクセスです。(このバス停は岡山駅から神道山行で、一日一本のみ停車ですが、近くにききょう町のバス停もあり、こちらは1時間に1本程度あります)鉄塔の下を行くと竹林の切れ目から古墳の後円部が見えます。みなさまの書き込みにもあるが、いったい何段のな? 前方部の墓地から見ると段々畑である。だけど、さすがは100㎡越え、樹木もないせいかより大きく見える。残念ながら、案内板はボロボロです。このように書くとすんなりと墳丘にたどり着いたようだけど、最初の分岐を曲がらずに、急坂をまっすぐ登り大汗をかきました。古墳は高いところにあるとの先入観があるのかも?
安土駅で自転車をレンタルしても訪問である。古墳見学の後、安土城考古博物館(石室を復元展示)によるつもりである。古墳へは東側の入口からのアプローチで、ここには駐車スペース、解説板もある。ここから登ると、最初に墳頂がデゴボコした後円部があり、石材は数カ所露出している。さらに奥には前方部があるが、こちらも石材が一部露出している。
水をたたえた濠に囲まれて墳丘に樹木が生い茂る古墳は、本当に大きく、美しく見える。この古墳も例外ではなく、立派な前方後円墳である。周濠の周りには、古墳を1周するようにコンクリートのがあるが、あいにく草が多く一部は歩行困難であった。コンクリートに土手付近で草刈りをしてる人がいたので、地元の方に大事にしているよううな古墳でもある。陪塚は南側に、い号。北側に、ろ号がはっきりと確認できる。
南側から見ると、随分変形した古墳のようだ。墳丘に登ると露出した石棺が見える。
進入口は2か所程、古墳南西から後円部に登る道と、北東、前方部の角からの道があるようだ。北東の登口は、「御着駅」から古墳東の道を北上すると、道路に古墳の位置を示す標識があり、迷うことはなさそうだ。北東の通路から入ると、前方部には段の低い石垣があり、後円部には確かに折檻の一部が露出している。南西から墳丘を出ると、くびれ部にはっきりとした造り出しが確認できる。古墳の西側の道を北上すると、すぐに第3古墳(山之越)が見える。
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解説書「大和古墳群と柳本古墳群」が2024年1月に刊行されています。数回に渡り訪れた記憶がよみがえり懐かしく見いました。A4判、59ページのの冊子で、このあたりを訪問するなら、参考になると思います。入手は、天理市埋蔵文化財センターで、あらかじめ電話で残部状況を問合したほうが良いようです。TEL 0743-65-5720になるります。私は、郵送して頂きました。
出雲市駅でレンタサイクル(電動)を借りて訪問です。まずは、今市大念寺古墳の大きな石棺を見て、こちらの見学です。四隅突出型墳丘墓、本当に変わった形ですね。写真では見ているけど、こちらの地方独特の形、やはり見たくなります。2号から,3,4号と見て5号を見ると、なんと不整形な墳丘なのだ。大きく崩れた前方後円墳にも見える。四隅突出型墳丘墓から前方後円墳に移行する中間の古墳かも?などと思ったけれど、素人の浅はかな感想のようです。
最初に作られたようであるが、以後は規模は小さくなるようである。普通は小さいものから、だんだん大きくなると思えるが、チョット不思議。これよりも古い、小さな古墳があるのかも?
この古墳だけ復元されていて墳丘が葺石で覆われています。ずいぶん変わった形状をしていて、これが前方後円墳につながっていくのか? ロマン溢れる古墳です。
墳丘の中央が大きく凹んでいて、盗掘穴なのか? 墳頂から市街地が良く見える。
2つの前方部(造出)がある珍しい形らしいが、片方の方形は確認できたが、もう一方は良くわからなかった。墳丘からは樹木の間から下界が見える。これらの古墳も、下界から見せるための古墳なのか?
東北から四国はチョットと遠いのですが、念願かなって来訪できました。本当に尖った石が全体を覆っているようです。なぜ、尖った石を積んでいるのかと思っていたけれど、古墳の周りにたくさんある石を利用したようです。尖ったい石が覆う後円部や前方部は、初めてみるので異様な感じがします。
高松駅からループバスに乗車し峰山バス停で降車して、峰山公園まではハイキングがてら徒歩で向かいます。古墳は山頂付近点在しています。
これは凄い、石室も大きいが石棺があまり見たこともない位に大きい。大人の背の高さを超える位の高さがある。荒神谷遺跡も見たかったけれど、出雲大社の博物館で銅剣が見られたので、この古墳にして正解だった。古墳の石室は、墓地の一番奥にあり、石室の入口には扉があるが施錠されていないのでは入ることができる。
やっと来ました。これで、大仙陵古墳から始まる大型古墳ベスト100基訪問が完了しました。この古墳は10年前に訪れたけれど、探せなくて断念した古墳です。セイウチさんの書き込み通り工業団地の小川製作所の門の左手から、古墳へアクセスできました。後円部の墳頂は盗掘されたような穴があります。また、子供達の遊び場にもなっているようで、子供達が書いた絵看板が立っていて、うらにはウサギ山とありました。うっそうした森の中を想像したけれど、前方部の先には、子供の施設?のような建物ができていて、開発が進んでいるようです。
10年越しの再訪です。セイウチさんやsusumuさんの書き込みにある、尾上南(岡電バス)バス停で降車してのアクセスです。(このバス停は岡山駅から神道山行で、一日一本のみ停車ですが、近くにききょう町のバス停もあり、こちらは1時間に1本程度あります)鉄塔の下を行くと竹林の切れ目から古墳の後円部が見えます。みなさまの書き込みにもあるが、いったい何段のな? 前方部の墓地から見ると段々畑である。だけど、さすがは100㎡越え、樹木もないせいかより大きく見える。残念ながら、案内板はボロボロです。このように書くとすんなりと墳丘にたどり着いたようだけど、最初の分岐を曲がらずに、急坂をまっすぐ登り大汗をかきました。古墳は高いところにあるとの先入観があるのかも?
安土駅で自転車をレンタルしても訪問である。古墳見学の後、安土城考古博物館(石室を復元展示)によるつもりである。古墳へは東側の入口からのアプローチで、ここには駐車スペース、解説板もある。ここから登ると、最初に墳頂がデゴボコした後円部があり、石材は数カ所露出している。さらに奥には前方部があるが、こちらも石材が一部露出している。
水をたたえた濠に囲まれて墳丘に樹木が生い茂る古墳は、本当に大きく、美しく見える。この古墳も例外ではなく、立派な前方後円墳である。周濠の周りには、古墳を1周するようにコンクリートのがあるが、あいにく草が多く一部は歩行困難であった。コンクリートに土手付近で草刈りをしてる人がいたので、地元の方に大事にしているよううな古墳でもある。陪塚は南側に、い号。北側に、ろ号がはっきりと確認できる。
南側から見ると、随分変形した古墳のようだ。墳丘に登ると露出した石棺が見える。
進入口は2か所程、古墳南西から後円部に登る道と、北東、前方部の角からの道があるようだ。北東の登口は、「御着駅」から古墳東の道を北上すると、道路に古墳の位置を示す標識があり、迷うことはなさそうだ。北東の通路から入ると、前方部には段の低い石垣があり、後円部には確かに折檻の一部が露出している。南西から墳丘を出ると、くびれ部にはっきりとした造り出しが確認できる。古墳の西側の道を北上すると、すぐに第3古墳(山之越)が見える。