seraさんのプロフィール
「なごやの古墳」(平成26年3月発行)で名前を知り言ってみたが 説明看板等はみつからず。
施錠されているため、見学する際は瑞鳳公民館まで申し出る必要あり。 観覧時間は午前9時から午後4時まで。 午後4時半に到着したので見れなかったorz
名古屋市の史跡なのに民家に囲まれて近づくことができない。 深沢1号墳と深沢2号墳は消失。
親王塚古墳を少し東に行ったところにあります。
岩船神社からの後ろのため池北側に、みろくの森の入り口の柵があります。その柵を越えてまっすぐいくと左手にあります。
東谷山フルーツパーク内にあり。 石積みの一部のみ残っている。
東谷山フルーツパークの入り口横に東谷山散策路入り口がありそこを登ると到達できます。 途中にも石室らしきものが何箇所かありました。
古墳から帰るときに古墳のところの角を回ってすぐの道の北側に穴が!これも古墳でした。未発見の古墳かも。石室の天井が落ちているようで、半分ぐらい埋まっていますのでそのうちわからなくなるかも。北側に羨道が続いているように見えて、北側に回ると段差があり、そこに入り口らしきものがありました。
平成25年度に失われた天井石を復元して、崩れた石積みを積み直す復元作業が実施されました。復元石材には元の石材(硬質砂岩)と異なる石材(花崗岩)を使っています。 公園になっており駐車場があります。古墳の北側から来たほうが車では行きやすい。
神社北側の道を東に行くと柵の中に古墳の形のブロックがあり、 そこの看板に古墳の説明があったらしい。 道から見ると利用案内しかなかったので気がつかなかった。
2014/8/14の明日香のピラミッド方墳として新聞記事がのりました。 テラスが4段見つかり、全体で8段ほどだった可能性があるとのこと。 2014/08/16の現地説明会を実施。
以下のページに発掘品の写真がありました。 http://www.city.kitanagoya.lg.jp/rekimin/iseki.html
http://bunka.city.kuwana.mie.jp/index.html の情報では神社内に3基ありますが、現地で見てもどれが古墳かわかりませんでした。
多分南側が入り口だと思いますが、特に崖があるわけではないので、もともとの入り口はどこにつながっていたのでしょうか?
久しくぶりに行ってみたら草とかがかられていて見やすくなっていました。 周辺の古墳地図を見ると白鳥塚古墳の東のほうの道の南側に 現存古墳があるようですが、更地になっていて、 岩がまとめてあったので、どうやら消失したようです。
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「なごやの古墳」(平成26年3月発行)で名前を知り言ってみたが
説明看板等はみつからず。
施錠されているため、見学する際は瑞鳳公民館まで申し出る必要あり。
観覧時間は午前9時から午後4時まで。
午後4時半に到着したので見れなかったorz
名古屋市の史跡なのに民家に囲まれて近づくことができない。
深沢1号墳と深沢2号墳は消失。
親王塚古墳を少し東に行ったところにあります。
岩船神社からの後ろのため池北側に、みろくの森の入り口の柵があります。その柵を越えてまっすぐいくと左手にあります。
東谷山フルーツパーク内にあり。
石積みの一部のみ残っている。
東谷山フルーツパークの入り口横に東谷山散策路入り口がありそこを登ると到達できます。
途中にも石室らしきものが何箇所かありました。
古墳から帰るときに古墳のところの角を回ってすぐの道の北側に穴が!これも古墳でした。未発見の古墳かも。石室の天井が落ちているようで、半分ぐらい埋まっていますのでそのうちわからなくなるかも。北側に羨道が続いているように見えて、北側に回ると段差があり、そこに入り口らしきものがありました。
平成25年度に失われた天井石を復元して、崩れた石積みを積み直す復元作業が実施されました。復元石材には元の石材(硬質砂岩)と異なる石材(花崗岩)を使っています。
公園になっており駐車場があります。古墳の北側から来たほうが車では行きやすい。
神社北側の道を東に行くと柵の中に古墳の形のブロックがあり、
そこの看板に古墳の説明があったらしい。
道から見ると利用案内しかなかったので気がつかなかった。
2014/8/14の明日香のピラミッド方墳として新聞記事がのりました。
テラスが4段見つかり、全体で8段ほどだった可能性があるとのこと。
2014/08/16の現地説明会を実施。
以下のページに発掘品の写真がありました。
http://www.city.kitanagoya.lg.jp/rekimin/iseki.html
http://bunka.city.kuwana.mie.jp/index.html の情報では神社内に3基ありますが、現地で見てもどれが古墳かわかりませんでした。
多分南側が入り口だと思いますが、特に崖があるわけではないので、もともとの入り口はどこにつながっていたのでしょうか?
久しくぶりに行ってみたら草とかがかられていて見やすくなっていました。
周辺の古墳地図を見ると白鳥塚古墳の東のほうの道の南側に
現存古墳があるようですが、更地になっていて、
岩がまとめてあったので、どうやら消失したようです。